どうも、久しぶりになりました。

くまが好きな石原です。


3ヶ月ほど前、健康診断の直前に大戸屋を爆食したことで、血糖値が爆上がりしたのか、メタボ気味という診断が出ました。

先日、再度しっかり何も食べずに健康診断に行ったところ、メタボ気味という診断が出ました。

健康診断前は大盛りご飯は食べてはいけないし、私はデブ。2つ賢くなりました。


本題です。(最近学者さんが書いた難しい本を読んでいる影響から、それっぽい書き方になります。上の小噺とテイストが変わります。)


少し前、中高の時の同級生2人と久しぶりに飲みに行った。私立の学校で、勉強が出来る人はとても多かったが、彼らは勉強ができるだけでなく人柄まで素晴らしいので、私は2人を尊敬していた。何よりも素晴らしいと感じているのは、彼らが誰に対してもフラットに接することだ。他者との間に壁を作らず、誰に対しても等しく接していた。そう言った面もあり、学生の頃の休み時間には彼らの周りに自然と人が集まっていたように思う。


私は彼らのように他者とフラットに接することができるひとになりたい。そこで今日は、フラットに接することの意味とどうすればそれが叶うのか考えたい。


「フラットに接する」とは、人に対する評価を絶対的に行うこと(=相対的に行わないこと)だと思う。例えば、相手を接した際、自分の価値観と照らし合わせて「優しい」「かっこいい」「頭がいい」と思うことは絶対的に評価していると言えるだろう。反対に、「この中で一番優しい」「クラスで一番かっこいい」「自分より頭がいい」というように、他者との比較を以て人を評価することは相対的に人を評価していると言える。


絶対的に評価を行う場合、評価される側が持つ特徴のみがフォーカスされ、そのベクトルの大きさはあまり意味を持たない。もちろんどれだけフラットな評価を行う人でも「とてもかっこいい」とも「まあまあかっこいい」とも思うだろうから、ベクトルの大きさも無意味ではないが、「まあまあかっこいい」人が「とてもかっこいい」人の集まりの中にいても、「かっこいい」こと自体に変化はない。

こうした評価の仕方は、評価される側にとっては幸運なことだと思う。自分自身を見てもらえていると感じるし、時には自分の長所や短所を正確に把握することに役立つだろう(当然評価する側のバイアスがかかった評価にはなる)


反対に、相対的に評価を行う場合、評価される側が持つ特徴そのものではなく、そのベクトルの大きさが大きな意味を持つ。他者との比較の中では、ある人がもつ強い(はずの)個性が個性として見られなくなる。

「まあまあかっこいい」人は「とてもかっこいい」人の集まりの中では、比較的「カッコよくない」方の人となってしまう。

この評価の仕方は、非常に優れた人にとっては素晴らしいかもしれないが、そうではない人にとっては不幸だろう。ある人を高く評価しているつもりが、評価対象とされた別の人に真逆のレッテルを貼ってしまっているという状況が起こりうる。


私自身そうだったのだが、相対的に他者を評価する者にとっては、その者が持つ比較のための物差しでは測れないような特徴は無価値になってしまう。


小学生の頃、私は勉強は得意ではあるものの美術方面の才能が全くなかった。クラスにはとても絵が上手な女の子がいたのだが、私はその子のことを「別世界で生きている人」だと本気で思っていた。絵が上手いことを評価する物差しが自分にはなかったため比較ができなかったのだ。そのため、特別興味をもたず、別軸に置くことで自分の世界の形を保っていた。

これは今思うと非常に勿体無いことだと思う。もし自分がその子を絶対的に評価することで、「こんなに絵が上手い子がいるのか」と純粋に感動し興味を持てていれば、私の世界はもっと広がっていたと思う。彼女みたいに上手い絵が描けなくても、彼女とその先にある世界を知ることで、もっと感動するような体験や新たな考え方を学ぶことができたはずだ。


小学生の頃には相対的な評価に取りつかれていた自分が相対評価に上述したような負の面があると気付いたきっかけは私立中学に入学したことだ。それまでは自分が勉強も運動も得意で、優れた方にいたので、比較することもされることも気分が良かったし、評価されることに安心した。ただ、中学に入ると全ての面において自分より遥かに優れた人が沢山いたために、自分を相対的に評価した時、今まで誇りに思っていたベクトルの大きさが失われてしまった。ショックであったし、不安になった。


他者との比較の中で生きることは、所属する組織に評価を委ねることであり、多くの人にとって適切な評価方法ではないだろう。ある集団の中では優れていても、別の集団では特別秀でていないことはよくある。


ここまで書いて、最終的には「自分のことを絶対的に評価し、自分を愛すべき部分を理解し愛そう。そして他者も同じように自分を愛していることを理解し、平等に接するようにしよう」というような感じでまとめようと考え、書き進めていたが、あまりに本心ではなく止めてしまった。


私が、これから他者とフラットに接する人間になることは難しいと思う。今まで他者との比較の中で生きてきて、今その考えを取り払おうと努力しているが、他者より優れていたいという考えは抜けない。

私にとってそれは原動力になっているし、必ずしも悪いことばかりでもない気がしてきた。


うわ、すっごい長いこと書いたけど何も変わらないな。

読んでくれたあなた、ごめんなさい。自分なりの尺度でいい感じに生きてくださいね。


俺がNO.1!!!俺サイコーーーー!!!!


ありがとうございました。