かなぽんの姉、子宮頚部腺癌の闘病記です。
母は、毎日病院へ行きました。
決して近くはない距離です。
長期の入院は明らかだったので、毎日いろいろなものを
持って行きました。
最初は電車で通っていましたが、
行きの電車は大荷物を持って。
帰りの電車で寝過ごしてしまうことが多く、
時間が余計にかかる事で、ますます疲れることになりました。
母は、姉の自宅にずっと泊まり込んでいます。
姉は自宅に
猫 6匹(全部5歳)
亀 1匹
を飼っていました。
亀は緊急搬送後、私が連れ帰ることになりましたが、
猫はそのままでした。
これが、手のかかる事・・・。
猫たちもストレスを感じていたのでしょう。
トイレがめちゃめちゃでした。
猫トイレにしてくれないのです。
あちこちの床がおしっこで濡れていました。
更にうんちも落ちていました。
疲れて帰ってきたところに、猫の後始末。
母は、眠ることができなくなってしまい、
安定剤と睡眠薬で眠る毎日を送っています。
一方、姉は。
毎日来るのが当たり前・・・とは思っていないようですが、
まるで自分の自宅が病院の隣にあるかのように
思っているようでした。
「毎日来なくていいよ」
「明日はあれ持ってきて」
「もう帰るの?まだ5時じゃん」
姉は姉で不安が大きすぎて、私たちのことを
思いやる気持ちまで持てないのでしょう。
それでも入院生活のはじめの方は、
みんなピリピリしてました。
足が動かないことを何度も
「なんで動かないんだろう」
「いつ動くようになるんだろう」
「はやく退院したい。早くトモセラピー受けなきゃ」
首の癌が取れれば、またもとのように動くと
浅はかに考えていました。
私も最初はそう思っていました。
がんが神経を圧迫しているだけだと。
そうではありませんでした。
神経ってそんな単純なものではないんですね・・・。
麻痺は始まってから2日以内にどうにかしないと
回復はほぼ無理だそうです。
姉の場合、麻痺が始まってから放射線治療まで
10日間は経っていたので、もう絶望的でした。
動かすことはもう一生無理。
なぜ動かないのか、いつ動くのか
聞かれるたびに、
何と言ってあげたらよいかわかりませんでした。
その場しのぎの言葉で
「まだ治療したばかりだから、ゆっくりリハビリしなきゃ」
「リハビリを頑張ってやってれば少しは動くようになるよ」
私にはこれが精一杯でした。
あるとき、いつものように答えていると、
「あんたはゆっくりって言うけど、私には時間がないんだから!」
「少しは動くって何!? そういう言葉は落ち込むよ!」
・・・そうか。
ネガティブ思考は姉を傷つけていました。
お見舞いに来てくれた姉の友人は
「すぐに治るよ!」
「もう動くようになるんじゃない?」
すっごくポジティブでした。
・・・でも私は妹だから。
無責任な言葉をかけるつもりはありませんでした。
その日はケンカになりました。
姉「私が今どんなに怖いかあんたにはわからない。
肺にまで転移してるんだよ?一刻も早くトモセラピー受けなきゃ
死んじゃうかもしれないんだよ!?」
私「今まで私たちの言葉を全部無視して、
やりたいようにやってきた結果がこれでしょ。
この病院のやり方はダメだとか、トモセラピーをやらなきゃとか
もう聞きたくない!」
個室だったので、盛大にやってしまいました。
看護師さんが恐る恐る入ってきたのには、流石に反省しました。
いい年して、病人相手に何をしてるんだか。
姉は精神状態が不安定なのだから。
その後、ちゃんと仲直りしました。
冷静に話し合って、
『あの時こうしていれば』
と思うことはたくさんあるけど、
あの時に戻れたとしても、
あの時の姉を説得できる自信は今もない。
あの時、姉自身の考えられる中で
一番最善の選択をしてきたはず。
他の方法を選んでいたって、
もっと悪くなっていた可能性だってあるし、
もう死んでしまっていたかもしれない。
その日、姉は最後に言いました。
「私のしてきたことって、いったい何だったんだろう・・・
あんなに食事に気を付けていたのにな・・・」