かなぽんの姉、子宮頚部腺癌の闘病記です。
緊急搬送された先は、近所のわりと大きな病院でした。
レントゲンとCTをとり、救急担当の先生の説明が
姉にされました。
内容は、
「頚椎(首の骨)ががんに浸食されている。
少なくとも1か所、もしくは2か所の骨折が認められる」
「肺にも影が映っている。影の数は10以上」
「下半身は完全麻痺。これは頚椎の影響によるもの」
「余命は1年くらい」
「ここには頚椎の専門医がいないから、すぐに転院すること」
パニックでした。
肺にも転移?
余命は1年?
すぐに転院?
下半身麻痺??
救急担当の先生たちは、転院先の病院を聞いてきました。
すぐに転院させたいのが分かりました。
医師の治療を拒み続けて、収拾がつかなくなったら
救急車で入院してくる。
こんな患者はさっさと出て行ってもらいたい。
そうは言われませんでしたが、明らかでした。
転院先について、
以前治療を受けていた大学病院には行きたくないと
言いました。
では他は?
違う大学病院2つと、
地域では大きい病院1つを候補にあげました。
3つとも結果は受け入れ不可能。
救急の先生は、本人が嫌がっていても、
治療を受けていた大学病院に行くべきだと言いました。
今までの治療経過が分かるから。
最後にもとの大学病院に連絡してもらいました。
・・・
3時間後。
大学病院から受け入れ不可能と連絡が来ました。
理由は、放射線科に入院ベッドの割り当てがないから。
救急の先生の怒鳴り声が聞こえてきました。
「あんたの患者だろう!あんたが責任もて!!」
最後に大学病院に行ってから9カ月がたっていました。
その間に、主治医から何度かメールでやり取りをしていたそうです。
「もう来ないの?治療しないの?」
姉は主治医のことが嫌いでした。
不安な気持ちを聞いてもらえず、事務的に治療を勧められる。
免疫療法や食事療法について聞いても、
鼻で笑って
「そんなの信じてるの?」
不信感しか抱けなかったそうです。
転院先の病院はそれから半日後にやっと決まりました。
大学病院と連携している都内の病院でした。
緊急搬送から丸1日後、姉は再び救急車に乗って、
都内の病院に向かいました。