プレートル盤ルイーズ | Intermezzo ~幕間のおしゃべり~

Intermezzo ~幕間のおしゃべり~

しがない歌劇愛好家Basilioの音盤鑑賞録。
備忘録的に…

この作品を通して聴くのは、カンブルランの録音以来でした。僕の大好きなブランとゴールの両親にロットの題名役ですから悪い演奏であるはずがなく、特に連れ戻されたルイーズが口論の末にパリの街に飛び出していくフィナーレは印象に残っています。他方満足する場面がある一方でオペラとして、物語としてやや冗長な印象を持ったのも確かで、包み隠さず言えば敢えて別の録音を探さなくてもと考えていたのもまた事実です。今回思い立って、このプレートルの演奏に触れて本当に良かったと思います。


僕は指揮の話がつぶさにできるほど音楽がわかっている訳ではありませんが、両者で目指している音楽の方向性が全く異なることはわかります。リアリスティックで仏映画を思わせるカンブルランに対して、プレートルの演奏にはもっと濃厚で生々しい舞台の息遣いを感じます。どちらを好むかははっきりと趣味の問題で、恐らくカンブルランの演奏がお好きな方も多いと思うのですが、僕自身はプレートルの方が好きでした。とりわけ愚者の法王から戴冠される場面などスペクタクルなところは舞台らしい熱量のあるプレートルに軍配が上がります。但し、実際にはカンブルランの方がライヴではあるのですが。


圧倒的に印象が変わったのは戀人であるジュリアンという役です。カンブルラン盤で歌っているプリュエットの記憶がほとんどなかったこともあり今回比較のために改めて聴き直してみたのですが、澄んだ声と繊細な歌い口でいかにも貧乏詩人らしいリアルさはあるものの、シャルパンティエの重厚な音楽に対していささか線が細すぎる気がします。これに対してドミンゴは第一声からほとんどカリスマ的な声の豊かさ!ベストコンディションでの録音の一つではないでしょうか。音楽的にも先日の『イドメネオ』よりもうんと持ち味にあっていることもあって、思わず彼のパートを耳で追ってしまいます。なるほどこういうジュリアンであれば、ルイーズもまたあの両親から逃れることを選ぶだろうと。普通これだけドミンゴが良かったら彼の”優勝”になってしまうそうなところですが、今回は違いました。まずは主役のルイーズを歌うコトルバシュで、ドミンゴの輪郭の太い声に対しても全く位負けせずがっぷり組んでドラマティックな戀の重唱を繰り広げているのはまさに圧巻です。彼女はジルダやアントニアがすごく良かった覚えがあったのですがこういう演目でも十分に聴かせるパワーを持っていたのかと頭が下がりました。両親はそれこそブランとゴール以上のコンビはないのではと思っていたのですが、ここでのバキエとベルビエは全く異なるアプローチで真実味を持たせていて唸らされます。前者が貧しさや希望のなさから感情も冷めてしまっている様子であるのに対し(なので終幕がすごいんだなとも納得)、もっとうんと下町らしい風情があります。バキエもベルビエもよく笑う。でもそれは楽しい笑いではなくて、諦めからくるような渇きを含んだものです。ですから同時に彼らは非常によく怒る。やり方はある意味正反対なので、役の見え方が大きく変わりました。脇役や端役も揃っていますが、特筆すべきはやはりセネシャルの優美さを失わない浮浪者/愚者の法王でしょう。


個人的には本作のファーストチョイスと思います(といっても残念ながらあまり録音そのものがありませんが)