母が富山より埼玉にきました。
そして、偶然に、
先日東京でお亡くなりになった、
遠い親戚のおじさんの顔を見、火葬に立ち会うことができることになり、
一緒に高円寺までいってきました。
母の祖父の兄弟のお子さんで、
つながりとしては遠い。1度しか会ったこともない。
しかし、おじさんの生きてこられた人生を、
少ない情報だけど、お聞きして、
とても心を動かされた。
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おじさんのお父様は、東京で働いていらっしゃったが、
自堕落なお母様が食事をろくに作らず、
おじさんが少年の頃、結核になり、亡くなられてしまった。
おじさんには、お姉さん、弟さんの3人のご兄弟がいたが、
お姉さんはお母様と一緒に、おじさんと弟さんは捨てられたも同然になり、
お父様の兄弟、すなわち母の祖父を頼って、
母の実家でしばらく一緒に暮らした。
働ける年齢になり、弟さんと一緒に東京に戻り、
タクシーの運転手をし、生計をたてる。
とてもまじめにはたらき、生活をされていたとのこと。
結婚はしていない。当然お子さんもなし。
享年83歳。
定年まで働き、お亡くなりになるまで、
病気をすることなく、元気に過ごされたよう。
当然、身寄りがない、頼る家族がいないため、
ご自分の死後のことを考え、
葬儀や遺品整理など、死後にとりおこなわれるあらゆることの準備をおこない、
遺言を既に弁護士に託し、
家には、12時間、人の動きが無くなったらブザーが鳴る機械を設置する。
遺言には全ての財産を、生前お世話になった区役所へ寄付してくれと。
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わたしは家族の愛情を受け、好きなものを好きなだけ食べさせてもらい過ごしてきた。
いまは、愛する人を結婚し、愛にあふれる時間をすごしている。
自分にとって、まわりからの愛情は、いつでも自分を助けてくれた。
他人には言えないことも、家族だけには言える。
家族が自分を頼ってくれるから自分の存在価値も認識できて、
生きる活力にもなる。
そう思っているから、
家族の愛を十分に受けてこなかったのかもしれない、おじさんは、
何を心の拠り所として生きてこられたのか、と。
そんな中で、よく、自暴自棄にならず、
コツコツと生きてこられたのか。
両親に恵まれなかったとしても、
自分で家族を持つことは自由なはず。
どうしてそうしなかったのか。
もしかすると、恐怖心などがあったのか。
他に頼ろうとせず、
一切を自分だけで完結しようとする。
死後に残る遺産は、
争いの種となりかねない人ではなく区に。
他に迷惑はかけまい。
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もちろん、いろんな人生がある。
人それぞれの価値観がある。
だから、わたしがおもうことは、
主観的なおもい。
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きっと、わたしが、無性に心を動かされたのは、
おじさんの強さなのだとおもう。
生き抜く強さ。
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おじさんの顔はとても穏やかだった。
笑っていらっしゃるようにも見えた。
でも、もしかしたら、
つらさや寂しさを最後まで隠していらっしゃったのかもしれない。
やっと甘えられますね。
そう声をかけた。
なんなんだろう、うまく表現できないこの感じは。
でもとにかく、心を動かされたのだ。
かくあるべき。かく生き抜くべき。
ご冥福をお祈りします。