「中年の危機」という発達心理学用語がある。

 

ふと気になって検索してみたら、どうやら現在41歳の私の心理状態は、これに該当する。

 

と言っても、アイデンティティの危機ということなら15歳以降今日に至るまでずっとそうだったので、今更感はある。

 

ただ、

●年老いていく親を見ること

●病気になること

●禿げる・白髪になること

●仕事で成長したり出世したりすることが見込めなくなること

●異性から相手にされなくなること

 

これらがトリガーとなって、自分の過去は何だったのだろう?未来はどうなるのだろう?と、思い悩む機会が増えるのだそうな。

 

8割の人が経験するものだそうで、特に会社員のように雇われて働くのが多数派の選択になっている世界では、当然と言えば当然だと思う。

嫌いなことを我慢して頑張り続けても、あるいは外発的な動機付けによって無理矢理自分を納得させても、いつかごまかしがきかなくなる。

自己欺瞞に気づかぬほど、幼稚でもないしね。

だから厄年(男:42歳)というのは、あながちデタラメでもなく、こうした危機にからめとられやすい時期、ということにはなるのだろう。

 

処方箋は、正直、何の解決策もないというか、血迷って若い女を追いかけたり、酒におぼれたり、突然会社を辞めたりするなよ、という誰でもできるようなアドバイスが書いてあるだけだった。

可能性がない自分を受け入れて、せいぜい身の丈に合った生き方&死に方で満足しろよ、と。

 

それが嫌だから「危機」なんだと思うのだが。

あるいはその認識は言い換えると「絶望」であり、キルケゴールが言うところの「死に至る病」なのではないか。

それを拒絶して危険な選択をしてしまうのは、ツァラトゥストラ(ニーチェ)が言う「没落」?

 

まあ、いずれにせよ、四十にして惑わず、が一般論(?)だった時代と現代とは、悩みの内容も質も異なる。

四十だからこそ惑う、絶望する、没落する。

ここに社会構造の問題とナルシシズムの問題も絡んでくると思うのだが、今日はちょっとそこまで踏み込む時間がない。

 

とにかく、私は現在ど真ん中の中年の危機で、毎日仕事を辞めたいと思っているし、自分自身に絶望しているし、向上心もしぼんでしまって、可能性がない明日を生きることが虚しくてたまらないのだが、それを特別なことだと思わないようにして、ナルシシズム&自己欺瞞と対峙していかなければならない。

そのことに自覚的である限りは、「血迷う」ということは起こらないと思うのだが、どうだろう?