もう何年も、大みそかの夜にテレビの前に座って何時間も紅白歌合戦を見る、ということをしていない。

最後がいつだったかも思い出せない。

年越しの特番をザッピングしながらちらっと見る、ということをしていた時期もあるが、特にここ3~4年でテレビ自体ほとんど見なくなったので、格闘技もガキ使も孤独のグルメも見ないで、ゲームをやっていたりする。

 

2023年は、ようやく私が覚えた令和のアーティストであるAdoとYOASOBIが出演していたので、そこを含め少しだけ見ていたのだが、それでも相変わらずつまらなかった。

「ボーダレス」というコンセプト自体、大衆迎合的と言うか、NHKとして多様性についての主張や表現したい価値があるというよりは、単にホワイト社会化の流れに乗ろうとしているだけ、長いものに巻かれているだけのような気がする

 

そもそも多様性を称揚する割には、出演者がずいぶんアイドルに偏っていなかったか

それに十分な声量が出せなくなった高齢歌手も、見ていて痛々しい

さだまさしはいつの間にあんなに太ったんだ。

 

だから私のような中年のオッサンは、フレディー・マーキュリーがいないクイーンが生で演奏していたことに多少の興味を惹かれただけで、自分が聴きたい歌や自分の気持ちを代弁してくれるアーティストを探す方が難しいという有様だった。

 

ついでに言うと、アイドルは若年層向け(40代の自分は、男女とも、1組も知らなかった)で、演歌歌手は年寄り向け、それは言うまでもないことだが、旬を過ぎた話題性にも乏しい出演者は何だったのだろう?(ポケビ・ブラビ・藤井フミヤと有吉など)

 

そして盛り上がらない最後。

数年前のサザンとユーミンの大トリは圧巻だったが、福山とmisiaねえ…。

誰に求められているんだ?(特に福山)

 

あと、個別の出演者についての実に個人的な感想を少々。

ファンの人が見たら怒るかもしれない。

アンチを気取りたいわけでも、ミュージシャンを傷つけたいわけでもない。

あくまでも、個人的な好み・感想であり、また私のこのブログは読者もほとんどゼロに近いので、良さの分からないつまらん奴、ということで見逃してもらいたい。

 

①新しい学校のリーダーズ

このグループは好きではない。というか、嫌いである。

※メンバーのカノンちゃんだけは別嬪さんだと思う。性格もよさそう。

 

グループ名の「学校」は、個性や多様性を否定し、同化・画一化・平準化・同調圧力といった「自由」の反対物を押し付けてくるシステムや権力の権化なのだろう。

そういう窮屈な枠から「はみだしていく」、そういう自分たちこそが「新時代のリーダー」なのだ、と言いたいらしい。

いや、そうした主張が彼女たち自身のポリシーなのかどうかは知らない。

ひとまずマーケティング的にはそういうポジショニングで売り出している、というだけだ。

その方が今の世界ではウケるのかもしれない。

 

こういう局所的に「バズった」、いちおう多様性を主張する側にいるというポーズのグループを評するとなれば、インフルエンサーやオピニオンリーダーは肯定的な発言をするに決まっている。

彼女たちの人気ぶりについて書いたネット記事に専門家としてコメントしたライターも、「歌もパフォーマンスもハイレベル」などとべた褒めだった。

私は、先日の紅白で初めて生のステージを見たのだが、「ひどいもんだな」としか思わなかった。

歌、うまいか?

 

女子高生の服装で、股間に手を当てたりスカートをめくったりしながら「私の体が欲しいんでしょ?」と歌う彼女たちを拍手喝采で迎える一方で、女性がセクハラやそれ以上の被害に遭うことは許さない(当然だが)、そういうダブルスタンダードって、倫理的と言えるのだろうか?

 

②Ado

天性の歌唱力・表現力は、日本人の歌手としては、美空ひばり級の野良天才だと思う。

英才教育を受けたわけでもないのに自然にこういうことができてしまうというのは、ほとんど奇跡に近いのではないか。

唯一無二で、後にも先にも比類がない。

 

しかし、テクニックを使わずに歌えるような楽曲になると、途端に平凡な歌手になる。

バラードはとにかくつまらない。

「ギラギラ」のような毒のある世界観だとその類ではないのだが、昨年出されたB'zとのコラボなんかは最悪だった。

そのまま稲葉浩志にでも歌わせておけばいいような、B'zの過去作ですでに何度も聞いたことがあるような曲を、なぜ彼女に歌わせたのだろう?

こういうビジネスの背後でどういう意図が動いているのか、私は知らない。

もしも純粋に松本孝弘がAdoに歌わせるためだけの曲を書いたのだとすれば、ボカロPと呼ばれる人々以上には、松本氏はAdoを理解しているとは言えないと思う。

 

自分の表現力を引き出せるテクニカルな曲を今後も作り続けることができるかどうかが、彼女が長く活躍できるかどうかの鍵だと思うのだが、一方で今回の紅白で披露した「唱」などを聞くと、それでも厳しいものがあるのではないかと思う。

テクニックのすごさは「踊」でもう出し尽くした感があり、聴衆がいまだかつて聞いたことがないようなテクニックを体験する最初の機会はもう終わっているのだ。

 

レディー・ガガもいつの間にかいなくなるような世界だからな。

「曲」が生まれ続けないと、飽きられるのは早いと思う。

 

③YOASOBI

このグループもまた、日本のミュージシャンとしてかつてないほどの成功を収めた若きレジェンドだが、メディアミックスで戦略的に達成した世界的成功は「過大評価」になりかねないと思う。

 

基本的に彼らの楽曲は日本語/日本人相手だから成立しているようなところがある。

アニメや小説の世界観を表現した楽曲はメディアミックスにかなり親和的で売れる要素は十分に備えているし、アニメ「monster」の主題歌「怪物」などは、自分たちの魅力と原作の魅力が相乗効果を最大限に発揮するような、超絶アクロバティックな作品だと思っている。

これが単に偶然の産物でないことは、「アイドル」の成功が如実に示していると言えるだろう。

狙ってこういうものを作っているというのは、とんでもない才能だ。

 

しかしそれはAdoに対して感じた懸念と同様で、そういう相乗効果がもたらされるような作品から声がかかる、という自力ではどうにもならない条件とセットであって、今後の創作物がこれ以上のクリエイティビティ―を発揮できるかどうかは未知数だ。

運もある。

 

今後、メディアミックスや他のミュージシャンとのコラボといった、「相乗効果」狙いの売り方を継続できるかどうか、あるいはそうでない作品で勝負できるのかどうか、ということになると、少なくとも海外では難しいのではないだろうか。

楽曲が難しすぎてライブパフォーマンス向きでない、(素人目線だが、ヴォーカリストの「体力」もライブパフォーマー向きでないように思う)といったポイントも気になる。

 

④misia

学生時代、サークルの一個上の先輩(女性)が、「つつみこむように」を聴いていた。

特別な思いはなかったが可愛らしい人だったので、彼女が好きだった曲、ということで私も好きになった。

その先輩とは卒業以来一度も会っていないし、どこで何をしているのかも知らない。

でも、misiaの歌を聴くと彼女のことを思い出す。

俺は、あの先輩のこと、好きだったのかな?

 

と、そんなことはどうでもいい。

歌がとてもうまい人、なのだと思う。

ただ、彼女の楽曲は、すべてが祝福されすぎていて、ついていけない。

よろこびを知らない私の人生には、あまり響いてこないのだ。

国民的歌手、という地位にいると思うが、メディア、特にテレビが作り出した国民的人気者の実態がどんなものであるかはジャニーズが証明しているので(別にmisiaがそうだと言いたいわけではないが)、どれだけの人が彼女の歌とともに生きているのか、実際のところは分からない。

 

今回の紅白では5年連続の大トリで、一人で3曲歌ったが、2曲目に似合いもしないロックを歌う必要はあったのか?

misiaが「国民的歌手」だから特別扱いしている、というよりは、misiaを特別扱いすることによって「国民的歌手」がテレビによって作られているのだろう。

日本を代表する歌手である、ということに異論はないが、少なくとも私の気持ちを代弁してくれる歌手ではない。

 

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さて、今回の紅白は歴代2番目の低視聴率だったそうな。

結局、「ボーダレス」と口だけで言っても、「男性歌手vs女性歌手」というボーダーが基本コンセプトである伝統行事の上では虚しいだけで、さらに紅白の失敗こそが世代間のメディア体験の断絶と分断(ボーダー)を象徴してもいて、あらゆる組織や団体が「改革」と言いつつ同じことばかりやっているのとほとんど変わらない印象で、作り手の本気度よりも関係者間の利害の方に視聴者の想像力が及ぶような、残念な見世物だった。