世の中がどうあれ、私は私だ。

 

何の話か。

 

元総理大臣が銃殺された事件とその後の展開についてだ。

 

 

私は、あの政治家に思い入れも何もない。

というか、思い入れのある政治家などいない。

 

頼まれてもいないのに、あんな責任重大で大変な仕事に立候補して、自分にやらせてくれ、というのだから、正気の沙汰と思えない。

日本の政治家の中にはその責任の重大さを自覚していないような残念な人間もいるし、またそういう奴に投票する残念な有権者もいるのだが、バカはいなくならないので(むしろますます増殖する一方なので)、あきらめるしかない。

 

何はともあれ、政治家が暗殺されても何とも思わない。

担っている責任の重さからすれば、命を狙われることがあるのも当然だと思う。

どうせやるなら●中●蔵のような大悪党を狙えばよかったのに、という気はする。

 

一方、とにかく誰かを殺して自分のルサンチマンを開放したい、という人間の存在もまた、「この世界ではよくあること」「毎年見かけるおなじみの光景」ではないか。

今の日本には、鬱憤がたまっている人間が履いて捨てるほどいる。

中には相当悲惨な状況に追い込まれている奴もいるから、そういう人間が自暴自棄になって、「ジョーカー」やら「無敵の人」やらになってしまうのも、もはや確率の問題だと思う。

 

だから、今回の事件が起こった日、世の中は大騒ぎだったが、私としては「ああ、またか。」と思うだけだったし、犯人が自分と同い年だったので、図らずも親近感を覚えるようなところもあった。

まあ、年齢と現実に絶望している点以外に共通点はないが、犯人を裁くのは法であって、私ではない。

 

何も知らないくせにしたり顔でヤフコメに投稿している奴、またそのクソみたいな文章に噛みついたり上げ足をとったりしている奴、みんなくだらない。

(まあ、こんなクソ文章をブログに書いているお前も同じだろ、と言われればその通りだが。)

最近ではオーサーコメント「風」の半可通気取りなコメントも散見される。

また、オーサーコメント自体も、誤字・日本語の誤用・内容の偏り等あり、信憑に値しないものもある。

そして、読者の読解力のなさ。

自分が馬鹿だということを自覚していない人間(=バカ)が、「自分こそが正しい」と主張しだすともう収拾がつかない。

 

さらに悪いことに、この事件を「民主主義の敵」みたいな位置づけで、政党のイメージ戦略(プロパガンダ)なのか、はたまたヒーローになりたがる人間のナルシシズムなのか、あるいはその両方かも知らんが、そういうミスリード(嘘)や欺瞞を振りまく言説が、政治家の口から発せられ、世の中に流通していく。

これもまた、嘘で塗り固められた世界の末期症状だと思う。

国葬?いいよ、そんなの。これをやって得をする人間が誰なのか、考えた方がいいと思う。

 

世の中は右を向いても左を見ても、本当に徹頭徹尾クソだと思う。

この腐ったクソ社会で、私自身も腐っていくのだろう。

私が私自身の感受性と「まともさ」を維持するには、その自覚が一番大切である。