みなさん、自分をまじめだと思いますか。
私は、かつて「超」がつくほどの、日本代表レベルの(?)クソまじめな人間でした。
今は、だいぶいい加減になりました。
意味があると思えない仕事は、極力手を抜きます。
それでも最低限の義理は果たしますので、やっぱり根はまじめだと思いますが。
また、最低限の義理すら果たさない根っからの不真面目野郎というのもいろいろな場で目撃しますが、以前ほどそういう人を軽蔑するような感情は起きなくなりました。
罪を憎んで人を憎まず、というか、
あいつは俺みたいなまじめ人間じゃないってだけだろ(それで迷惑かけられたらはっきり文句言ってやるけど)と、あっさり割り切れるようになりました。
「人間は、自分自身と折り合いがつけられる程度にしか、他人と折り合いをつけることができない」
以前テレビで、精神科医だか心理学者だかが語っていた言葉です。
なるほど。
いまのところ、この説は真実だと私は思っています。
私がクソまじめなのは、もともとの性格もありますが、一番はたぶん母の影響です。
そして、二番は学校教育です。
子供のころから、親や先生の言いつけは必ず守り、禁止されたことは絶対にやらず、誰に言われなくても黙々と勉強しました。
桜の枝を折ったことを自白したワシントンのごとく、何かルールを逸脱してしまったときにはそれを白状せずにはいられない、という正直者でした。
※もっとも、「正直であれ」という教育は確かに受けたものの、まじめであることと正直であることはちょっと構造が違うという気もしています。これについても、のちに詳しく検討したいと思います。
先日「私は中年の危機のど真ん中にいる」という内容の記事を書きましたが、「まじめ人間である(あった)自分」がどのように作られてきたか、そもそもまじめとは何か、そしてそれが今の自分にどのような影響を与えているのか、そういったことを、それこそ「まじめに」考える必要があると思っていて、記事を書き始めた次第です。
しかしこれからクソ仕事の時間ですので、適当に手を抜きながら、仕事中もこの続きを考えていきたいと思います。
では、一回目はここまで。