※ネタバレアリ

 

 

う~ん。

ピクセルリマスターの他作品をすべてクリアして、残すはこの6のみ。

30時間ほどプレイしました。

 

あとはレベル上げるとか、魔法を全部マスターさせるとか、ガウやストラゴスのような3軍選手たちを多少育成しておくとか、「この辺でいいかな」というところまでやりこんで、ケフカ討伐して終わりかな。

 

「特定の主人公を置かない」、あるいは「全員が主人公」ということになっている。

そのため、回想シーンや夢の中、あるいは魔列車やオペラなどの「飛び道具」も織り交ぜながら、各キャラのエピソードがかなり丁寧に描かれている。

 

群像劇、ということになるのだろうが、RPGでは極めて珍しいアプローチではなかろうか。

同じような作品ということになると、ペルソナ5は幾分かその傾向があったような気がするが、それでも主人公はしっかり決まっていたから、少なくとも私が遊んだことのあるゲームの中に、類似の作品はない。

 

もっとも、今となっては登場するキャラのエピソードをそれぞれ深掘りするのは(特にJRPGにおいては)「王道」になっていて、仮に主人公と物語の軸がしっかり決まっていたとしても、サブクエスト等で他のエピソードを掘り下げたり、チャプターごとに区切って一時的に物語の軸を特定のキャラに移したりする手法は多くの作品で見られる。

それはソフト・ハード両面で容量が桁違いに向上したことによって可能になったことで、映画やアニメだったら当たり前なのだろう。

FF6は個性的なキャラによる群像劇的要素を、ゲーム内でいかに表現するか、ということに挑んだ作品だったのかもしれない。

FF4から始まった「スーファミ時代のFF」の歴史は、ここに一つの頂点を築いた、と言ってよいのではないかと思う。

 

【主要キャラのエピソード】

ティナ…両親の出会いと出生の秘密。帝国に利用された過去、親を失った子供達の「ママ」となり「愛」を知る、

ロック…恋人レイチェルを失った過去、最後の別れと決意

セリス…帝国の人造魔導士という因縁、オペラ、仲間を求めて

マッシュ&エドガー…王位継承をめぐる兄弟の葛藤

カイエン…妻子との別れ、魔列車、夢の中で迷いを断ち切るまで

シャドウ…仲間を見殺しにした過去、リルム&インターセプタ―との関係

リルム…シャドウ&ストラゴスとの関係、画商のダンジョン

セッツァー…ダリルとの思い出、セッツァーにとっての飛空艇の意味

ガウ…精神疾患の父に捨てられた過去、父との再会

 

それぞれのエピソードにイベント、ダンジョン、ボスなどがあって、ゲームとして山あり谷ありの作りは非常によくできている。

また、各キャラの個性が戦闘における特殊能力やステータスにも反映され、育成や装備品集めも面白い。

物語の見せ方とゲーム性のバランス。

バランスで言えば6が最高傑作なのかも。※

 

潔くていいと思うのは、その分メインのストーリーはシリーズでも最も単純明快で、ケフカが徹底的に悪い奴(サイコパス)で、それを打倒するということが目的である点。

だからケフカは見た目通りのピエロなのである。

群像劇のベクトルをそろえるためだけに踊り続ける狂人。

また、各キャラのエピソードも、それぞれベタと言えばベタ。思いっきりテンプレである。

唯一、シャドウのエピソードだけ全体をつかむのが難しいが、その程度で納めておいたというのがまさしくバランスだ。

物語の前半(崩壊前)は各キャラの(ベタな)エピソードが紹介され、後半で一つ一つ解決しながら「仲間を求めて」姿の変わったワールドマップを旅して、全員揃ったところでケフカを倒す。

終わってみれば、メインストーリー自体はものすごく薄いのだが、同時にボリュームもあり、ゲームとしては面白かった、あのキャラが好き、この曲が好き、やっぱりFFは別格だなあ、そういう感想になるだろう。

 

引き算の美学、とでもいおうか、バランスの芸術。

ファミコン・スーファミ時代を締めくくる歴史の到達点として、FF6はやっぱり超名作だと思う。

 

※バランスについて補足。

まずファミコン時代の3作品。

1と3はプレイアブルキャラに個性がない。

ストーリーは当時のゲームとしてはよくできている。

ダンジョンとラスボスの難易度は鬼畜。

2は残念ながらゲーム性の面でバランス崩壊している。

 

SFC時代。

4はスーファミに進化したことによる表現力の向上を示すにとどまり、シナリオもゲーム性も過渡期の作品だった。

5はそれ以前の作品をまとめて正統進化したものとして、非常にバランスのいい仕上がりだったが、キャラの個性はイマイチ(ジョブチェンジシステムだったのが理由の一つ)で、あくまでゲーム性優先、という感じだった。

 

※FF7のシナリオが中盤以降結構ダレるのは、登場人物が多すぎることと、ユフィ、シド、ヴィンセント、ケット・シーらが必然性のない関わり方をしてくるのが原因で、「ゲームとして面白くする」ことと「物語のシナリオとして面白くする」ことが喧嘩してしまうからだと個人的には思っている。

 

※FF8、私はリノアル説は意図されていると思う。

これを描きたいがために、つまりゲームでどこまでファンタジーを描くことができるのか、その可能性を追求するために、「ジャンクションシステム」という難しいことを考えたのだと邪推する。

ジャンクションシステムが優れている点があるとすれば、それはストーリーと戦闘システムがリンクしているということだ。

言い換えればゲーム性がシナリオに妥協した、ということでもあるわけで、それこそが「クソゲー」と呼ばれてしまうこともある根本的な理由ではないか。

私もクリアしてエンディングを見るまでは(そしてその後リノアル説についていろいろ調べてみるまでは)「8は駄作」「クソゲー」と思っていたが、その意図があったと仮定して考えると、途轍もなく難しいことを途轍もなく高いレベルで実現しているという評価に変わった。

でも、ゲームとしてはもう2度とやりたくないけど(笑)。

 ※※さらに言うなら、時々出るFFの悪いところはこういうところで、「レベルが高すぎてユーザーに伝わらない」、ということに想像力が及ばないのである。