※ネタバレアリ

 

 

 

 

 

 

 

宇宙から帰ってきて、いよいよ終盤。

自分の中で大体この作品に対する感想や評価が決まってきた。

ただし、物語の結末やエンディングに至るまでの過程でそれらが変わることはありうる。

ということで現時点での備忘録。

 

【良い点】

・主題歌の演出効果

ストーリー中に何度もアレンジの異なるインストヴァージョンが、過去と現在でともに流れ、リノアが意識を取り戻した後に初めてお互いの恋愛感情を確かめ合うシーンで、満を持してヴォーカルありのフルコーラス。

ベタだが、これをゲームでやったということに意義がある。

映画×ゲームの扉を開いたのは、FFなのだから。

 

【悪い点】

・リノアの性格

やたら男とベタベタしたがるのは何なんだろう?

宇宙空間に酸素残量0で放り出されて一度はあきらめたところを奇跡的に救出された直後にもかかわらず、おちゃらけてスコールにハグを要求。(これが噂の「ハグハグ」か。)

地上に帰還できるかどうかもわからぬままラグナロクのコクピットを調べる命の恩人に後ろから抱きつき、最終的には膝の上でイチャイチャ。

スコール、目を覚ませ。

イケメンのお前なら、もっとまともな女が地上でちゃんと見つかるぞ。

 

・リノア以外のパーティーメンバー全員が幼馴染という設定

調べたら、「世界の中心で愛を叫ぶ」、通称「セカチュー」は、2001年の作品だった。

長澤まさみの出世作だったと記憶している。

ただ、私は映画もドラマも小説も、全く見ていない。

タイトルを聞いただけで、見る気がしなくなる。

世界には自分たちしかいない、自分たちこそが世界の中心である、そんな平成日本の若者の空気感は、確かにあったような気がする。

それと、同じだ。

あとはコンプレックス丸出しの俺様ちゃんサイファーと、「まませんせい(おえ。)」イデアが一時的にプレイアブルキャラになるが、それらのゲストも含め、全員が共通の孤児院の関係者だ。

諸悪の根源・魔女のアルティミシアの動機にかかわるエルオーネまでもが「おねえちゃん(おえ。)」である。

 

もっとも、面識のある人同士にしかタイムリープを付与できない、という条件があるから、ストーリー上その設定は必要だったのだが、ワールドマップがほとんど岩と森ぐらいしかない殺風景な荒涼とした大地であるうえに、マップ上で訪れるべき街や洞窟などのポイントも極端に少ないので、本当に「この世界にはこいつらしか住んでいないんじゃないか?」という印象になる。

 

・キスティス&アーヴィンの年齢設定

どう見てもティーンエイジャーじゃないだろ。

しかも特殊部隊候補生の指導教官とか、銃撃のスペシャリストとか、そういう立ち位置であるにもかかわらず、「幼馴染」はないだろう。

スコールにマウンティングしていたくせに、職位を利用して年下の青年を夜な夜なカップルがたむろするデートスポットに連れ出し(しかもその道中には恐竜が出没する)、仕事上の弱音を聞かせて甘えて落とそうと画策するというとんでもない女。

どうした?

FF8の女性キャラはなぜこんなにがっついているんだ?

1999年に、何があったんだ?

 

・戦闘がつまらない

まず、キャラに戦闘上の個性が乏しい。

一応グラフィックの上では剣・格闘技・銃・ムチなどがあるが、とにかく「たたかう」も「まほう」も弱いので、召喚獣のゴリ押し一辺倒になってしまう。

レベル上げるとクリアが難しくなる仕様のため、強くして4ケタダメージが入る達成感・爽快感もなし。

そして、「ドロー」がとにかくテンポを悪くする。

魔法がアイテム同様の100個までしか持てない消耗品で、回復しない、というのも…

戦闘中に状態異常付けられたりすると魔法を使うのがためらわれる。

一方で「アイテム」コマンドもドロー優先で付けていなかったりすると、戦闘中の状態異常は直せなかったりする。

召喚獣を育ててそれによって自分の強さも決まる、というのは悪くなかったが、ドロー(or精製)が必要、というのが無意味にゲームを面倒くさいものにしてしまった。

さらに、戦闘をこなして経験値が入っても喜べない、という謎仕様。

 

・セルフィ=広末涼子、それはFFでやることなのか?

高校生のときの広末涼子は、それはそれは可愛かった。

実は私は彼女と同い年なので、本当にリアルタイムでツボにはまっていた。

なんてこった、という感じだった。

こんなナチュラルに可愛くて、肌キレイで、髪サラサラで、いつもニコニコしている子、近くにいないかなー、という感じだった。

まあ、俺の身の回りにいるわけないんだけど。

で、いくら当時の広末涼子が無敵級に可愛らしくても、FFのキャラをそれに似せて作ってはいけない。

天野画伯の「ファンタジーとは何か」を突き詰めたようなあの作画を思い出せ。

「愛の中には常に幾分かの狂気がある。しかし狂気の中には常にまた、幾分かの理性がある」とはニーチェの言葉だが、狂気と理性・空想とリアリズムが複雑に絡み合いながら生み出される混沌とした世界。

…そこに、広末涼子じゃないだろ。

歌も下手だったし。

6までの作品を愛してやまないファンであれば、この点には納得がいかないだろう。

 

【総評】

RPGの伝統に挑んだチャレンジ精神はさすが。

基本、失敗だったと思うが。

しかし、意味はあったと思う。

 

・ワールドマップを旅する冒険気分を味わう

・街から街へ移動するたびに、強い装備を購入

・レベルを上げてHP・MP、その他ステータスをアップ

・アビリティや魔法や必殺技もどんどん強いやつを覚えてキャラを成長させる

・行き詰っても時間をかければレベリングで突破できる

 

ドラクエでもFFでも、RPGが1作目から伝統的に受け継いでいるこうした「当たり前」。

しかし1987年に1作目が出てから10年以上経過して、マンネリ化したことは否めない。

 

そこに、FF7で大成功した、当時としてはゲーム史上最強の人気作品と言っても過言ではなかったFFが、そこに胡坐をかくことなく、新しいものを提案しようとしたというのは、実際ものすごいチャレンジ精神だと思う。

後に出る10もシリーズの中では異色作だったが、こちらは最高傑作との呼び声も高く、8のチャレンジ精神はのちの作品にしっかり受け継がれ、花開いたということもできるだろう。

 

そのチャレンジが成功していれば「神ゲー」なわけだが、伝統には理由がある、というのもまた真実だ。

そう簡単に超えられるものではない。

それが最もバランスの取れた仕様なのであり、それこそが伝統の伝統たるゆえんなのだ。

 

今作では上記のような説明不要の「当たり前」を一気に変えてしまった上に、説明不足&説明が下手&基本的にFFは意地悪、というのが相まって、ユーザーを困惑させただけでなく、「育成方針を間違えると中盤以降に詰んでしまう」という「攻略情報なしに分かるわけない」仕様により、お世辞にもゲームバランスが良いとは言えない仕上がりになってしまった。

 

その揺り戻しが、9に「原点回帰」という、見方によっては保守的なだけのコンセプトを選択させた。

個人的に9は好きな作品だし、それ以前の全作品の集大成、歴史の到達点として評価している。

ただ、それ以降のナンバリング作品に大きな遺産を残しているかというと、それはない。

その意味でFFの歴史は、9で一回終わっていると言っても良いかもしれない。

※あるいは、「それ以前にやってきたことを全部やった」作品が9、「それ以前にやらなかった(できなかった)ことを全部やった」作品が10なのではないか。

11以降はプレイしていないので分からないが、FFの歴史はそのあたりで一度終わっている、という見方は、往年のファンの共通理解だと思っている。

 

さて、長くなってしまった。

続きはまた今度。