テレビやラジオでは、下ネタ禁止だそうな。

 

あっそ。

 

声がでかいだけの少数派に合わせるのか。

はたまた文脈や歴史や文化が全く違う外国から「スタンダード」として押し付けられたものに従うのか。

 

女性に「美人」と言ったら「ルッキズム」?「セクハラ」?

馬鹿じゃねえの?

まあ、俺は言ったことないが。

 

とにかく、「正しさ」を振りかざして他人の言動をコントロールしようとする圧力が気持ち悪い。

 

私もセクハラ・パワハラの類はなくすべきだという考えには同意する。

しかし、それらも同じ言葉で十把ひとからげになっているから、注意が必要だ。

たとえば、学校の教師が生徒の体を触ったり盗撮したり?それは、セクハラ、ではなく、犯罪。

犯罪者は、刑法で処罰すべし。

 

それと、「美人ですね」は次元が違うだろう。

 

それに、ルッキズムって、マスコミが作ってるでしょ。

頭悪くても、特に芸がなくても、美人でスタイルが良ければそれだけでいい仕事が回ってきて、うまくいけば何億も稼げて、大金持ちと結婚できる、現にそういう「シンデレラ」みたいな人が実在するのだから、そしてそういう人がメディアに毎日出てくるのだから、見た目がいいことが人格や能力を超えた問答無用の価値として人々に内面化されてしまうのは、ほとんど必然的で不可避であると言ってもいい。

 

そこに、道徳的な感受性が違和を主張し、「ちょっと待った!」という話が出てくるのもわかる。

しかし、美人が得をするのはいつの時代のどんな社会でも同じだろう。

問題は、世間の老若男女が美人をちやほやすることにあるのではない。

美人とブスの間に恐ろしいほど残酷な格差が存在することにあるのだ。

 

若い女性が自分の容姿を気にしすぎて心身を病んでしまう、ということが時々ある。

あるいは病気にまでならなくても、中高生の女の子が自分の容姿を「理想的でない」と卑下して、自己肯定感情を委縮させているということはよくあるのではないか。

 

それも、そういう子だって、気立てが良ければ、チャーミングなら、彼氏もできるし、仕事にもつけるし、幸せになれる、そういう世界だったら、何の問題もないではないか。

 

ところが、美しい人はそれだけで格差社会の上流に、そうでない(上に目立った能力もない)人は格差社会の下流に自動的に分別されてしまうような淘汰圧が激しく働いており、それを感じるからこそ、そして上流の世界がメディアによって日々きらびやかに飾り立てられ、テレビやパソコンやスマホの画面、街の広告や雑誌の表紙に映し出され、そういう情報に四方八方を包囲されて生きているからこそ、「生きづらい」と感じる人が増えていくのである。

 

格差は問題である。

よく、格差はあって当然であり、格差のない社会はイノベーションが起こらない社会だ、とまことしやかにのたまう御仁がいるが、程度問題であり、現在の格差はその程度を明らかに倫理的に問題があると断定できるほどの水位まで拡大したまま何十年も経過しているのである。

 

というわけで結論。

ルッキズムは、格差問題である。