(J)RPGには必ずと言っていいほど登場する、「仲間」というワード。
(J)と付けたのは、最近遊んだ「ホライゾン」には出てこない(パーティーがいないから)ということによる。
しかし、孤独に戦い続けるというのでもない限り、RPGにおいてパーティーメンバーとの人間関係・信頼関係の描写は、重要な要素の一つだと思う。
ドラクエは3と11しかやったことがないので何とも言えないが、FFでは3まではメンバー間のそういうやり取りは描かれなかった。
グラフィックや容量の点においても、そこまでのスペックがハードソフトともになかったと言っても良いかもしれない。
4以降は、道中で様々な「キャラクター」と出会い、「仲間」が増えていく。
男性キャラと女性キャラが結婚する、というようなことも起こるようになるわけで、RPGは一気にドラマチックなものになる。
少年ジャンプ系の漫画でも、ドラゴンボールやワンピースのように、仲間との絆が見せ場の一つになる。
これは、どんなに時代が変わっても、人間が仲間を求める生き物であること、成長したり困難を乗り越えたりするのにも仲間が必要であること、そして、そうした物語に自分を投影して、感動したり、勇気や元気をもらったりできること、そういう本質は変わらないということの証ではないかと思う。
令和のRPG、渋谷が全世界であり、自分たち以外は全部風景になっている「すばらしきこのせかい」であっても、最後に仲間にしたツンデレ娘に対して、はじめて「仲間」というワードが出てくることになった。
伝統を感じると同時に、不思議な気持ち。
新しい時代の「世界」や「仲間」は、どのように共感されうるのだろう?
この作品をやって一番味わい深いのはそこだ。
基本的に、困っている奴を助けるところから「仲間」は始まる。
「仲間」だから、助ける。
助けるから、「仲間」。
現代人には、「仲間」はいるのかな?
ショウカちゃんは自分一人では回避できないトラブルを抱えていたから、そこではじめて「仲間」としての意識も始まるのだ。
その関係性のために犠牲になったイグアナ女は気の毒なだけだったが、今後のストーリーで出てくるのかな?
ここで終わっているとすれば、ちょっと脚本が適当すぎな気もするが。
考察を深めるにはもう少し先に進める必要があるのだが、時間になったので、クソ仕事に出動。
アデュ。