私は、今月で41歳になる独身男です。

吹けば飛ぶような零細企業に勤めております。

 

結婚したいと思ったことがありません。

結婚して幸せになる男女というのはいるのだろうし、そういう人がいないと社会は成り立たないと思います。

しかし、その逆の「悲劇」も良く起こります。

 

山口百恵の「秋桜(コスモス)」という曲、ありますよね。

 

明日嫁ぐ私に

苦労はしても

笑い話に時が変えるよ

心配いらないと

笑った

 

…切ないですねえ。

ヒット曲にこういう歌詞があるということは、経済的事情により女性が望まぬ結婚をする以外に生きる道がなかった時代があったということです。

今もあるのかもしれませんが、表向きには憲法で「両性の合意のみに基づいて成立する」と書かれていますから、要するに、本人の自由です。

 

さて、自分の両親はどうだったでしょうか。

私の親は、見合いで結婚しました。

父も母も、ほとんどろくに恋愛なんかしたことがなかったと思います。

特に父は、女性と付き合ったことなんてあったのかな?

たぶん、なかったと思います。

 

当時としては晩婚の部類だったと思います。

高度成長期の日本では、結構職場が縁を取り持っていて、会社の上司に仲人を頼む、みたいな、終身雇用システムが企業内共同体の基盤を支えていた印象があります。

だから、現在の日本で生涯未婚率が男女ともに上昇し続けている理由の一つは、終身雇用システム、あるいは正社員システムが崩壊し、地域社会に代わって個人を共同体に結び付けてきた企業が、社員を包摂することを辞めてしまったがゆえの結果であると言えます。

 

そういうお膳立てがなければ、「モテる」「色気がある」という「恋愛強者」の遺伝子を持っていない人は、子孫を残すという点でかなり不利な状況に追い込まれます。

自由恋愛ということは、パートナーを恋愛市場において自力で調達するということであり、当然「偏差値」の高いに人には人気が集中しますから、競争に勝てない人が相当数生み出される、ということになります。

 

実は私には2つ年上の姉がいるのですが、独身です。

私たち姉弟は、まず第一に、恋愛市場で勝てる遺伝子、あるいは人生の目的の一つとして異性愛を手に入れることを希求する遺伝子が備わっていなかったように思います。

 

さらに、私の両親は仲が悪く、特に酒癖の悪い父が母にとって耐えがたい相手になっていることを目撃して育ちましたので、「結婚相手を間違えると女性は不幸になる」、「子供がいると嫌なことから逃げられなくなる」という人生観がしみついてしまいました。

父は父で、職場の配置転換になじめず(肝炎になって現場仕事から外されたのが原因)、一度転職したがったそうなのですが、母方の祖父に猛反対されて断念したようです。

だから、私にとって結婚は「好きな人と一緒にいられる幸せなもの」ではなかったし、家庭を築くことは「逃れることのできない重い責任をひきうけること」に他なりませんでした。

 

さらに、私の叔父は団塊の世代には2%しかいない、「生涯未婚」の人でした。

叔母にも、やくざ者の家に嫁いで大いに苦労した人がおりました。

 

こういう遺伝子、こういう環境で育ってしまった上に、自分自身は就職氷河期世代であり、また日本のひどい労働環境がありましたので、そこからどうやって逃げるかを考えたら、とても結婚という責任なんて背負えない、自ら結婚したいと考える動機が、そもそも生まれる余地がありませんでした。

 

こんなわけで、40を過ぎた今、「孤独」という問題の当事者になっているわけですが、それは自分のことだけで済む気楽さとトレードオフですし、私にとってはそれ以外にはありえないような必然的なことだったように思うので、幸せかどうかは分かりませんが、このままこの人生を生きる以外にありません。

 

仕事柄、子育てしている人と接する機会が比較的多いのですが、子育てが他人事の私にとっては、ずいぶんとお金がかかって、しかもそのお金は「投資」としては全く割に合わず、「心身ともに健康で、周りの人との人間関係の中で成長し続けられる」という最低限の願いも成就するかどうかが相当怪しい状態(これは社会のバランスが悪すぎるのが原因であって、親のせいではない)で、とてもじゃないけど「自分もやってみたい!」とは思いません。

 

それでも子供の成長を見るのが幸せだとか、子育てを通じて自分自身が人間として成長できた、ということは当然あるでしょう。

それもまた、トレードオフです。

 

結婚する人生でもしない人生でも、みんながハッピーならそれでいいのですが、どうも両方ともあまりハッピーに見えないというのは、この国が悪いのでしょうか?それとも人間の世の中なんていつもこんなものなのでしょうか?