「緊急事態」じゃなかった時期が、もう思い出せない。

 

徹底的におとなしく過ごしているし、ワクチンも2回打てたので、これまで問題は起こっていない。

 

仕事については、実は会社側に直談判して責任(だけ)があるポジションから外してもらい、自分ができる範囲でしか関わらない、というスタンスを固めた。

自分はこれまで、「従順」であり過ぎた。

間違った宗教を信じていたことにようやく気付いた、という感じ。

40年かかったけど。

 

人間は、自分で責任をとれるなら、自由でいいのだ。

自分で責任をとれない幼稚な人間が、従順になるのだ。

 

あろうことか「学校」という場所でそういう思考様式を内面化させられているので、これはもう自分の人格・人間性そのものになってしまっている。

 

とにかく、私はもうやりたくないことや嫌いなことを無理してやるのをやめた。

誰に何と思われようと、最低限の義理が果たせているなら、それでいいと思うようになった。

あらゆることが、無意味で馬鹿馬鹿しい。

そこに潜む自己欺瞞もまた、ごくありふれた陳腐なもので、自分が「何物でもない」ことにも絶望している。

 

そんな人生に不貞腐れた私は、「外出自粛」を理由に家に引きこもって徹底的にゲームをやりまくって過ごしている。

※コンビニには行ける引きこもり、という人がいるそうな。

俺は「仕事にも行ける引きこもり」だよ。

形式的に働いていることになっているだけで、精神はニート同然だよ。

とにかく、働きたくないんだ。

「労働は人生の道場」と思いたかったが、とりあえず40歳を迎えて、少なくともそう思える人はかなり「ラッキー」なのだ、ということだけが分かっている。

 

2021年。ここまで9か月。

虚しい思いで生きていると、時の流れは速くて遅い。

よく楽しい時間は早く過ぎるというが、不思議なことに今年は逆だ。

 

大嫌いな仕事の時間は、心のスイッチを切って時間が流れるままにしているので、気づいたらもう9か月も過ぎていた、という感じ。

一方で、自分が今年書いたゲーム関連の記事を見返すと、遠い昔に遊んだような、時間がものすごく遅く流れているような、不思議な感覚なのだ。

たぶん心に残る瞬間が現実の生活より圧倒的に密度が濃いので、「いろいろなことがありすぎて」そうなっているのだと思う。

私のむなしさは、心のスイッチが切れた状態で過ごした過去の空洞であり、「時間が20年過ぎているよ」と言われるより、「いや、あれは夢だったんだよ」と言われる方が、納得できてしまう。

本当に何もない、空っぽの時間、ないも同然の時間だったのだから。

 

さて、今年遊んだゲーム。(×は途中でやめたもの。△はクリアしてない)

並べてみたらいっぱいあった。

FF7R

FF7

FF8×

FF9

FF10

FF10-2×

DQ3

DQ11

エースコンバット7

GTA5

信長の野望 大志PK△

newみんゴル△

ぷよテト△

テイルズオブアライズ△(プレイ中)

 

いやー、子供のころからゲームで育ったが、今まで生きてきた中で一番ゲームやった。

普通の勤め人でこんなにゲームばかりやっている廃人もそうはいまい。

第一、時間がないだろ。

 

これが、労働意欲ミニマムの状態で零細企業の社畜をやっている40歳の2021年だ。

でも、どれも心に残る作品で、ゲームに時間を使ったことは後悔していない。

少なくとも、クソ仕事やっているよりよっぽど人生のためになっていると思っている。

 

この世界はクソだが、その同じ世界に「ゲーム」という最高の娯楽がある。

それをこんなに堪能できる自分は、クソ不幸で、クソ幸福だ。