※プレイ日記ですので、ネタバレあります。野暮ですが念のため。

 

進捗状況は、たぶんちょうど中間地点ぐらい、だと思う。

 

納得した。

 

これは傑作。

きちんと(?)ドラクエでもFFでもないRPGとして、独自の要素で一つの境地にたどり着けている。

そう感じる理由を、備忘録的にメモしておく。

 

(1)独特のタッチの超美麗なグラフィック

写真のようでもあり、絵画のようでもある、美しく雄大かつ幻想的な景色。

もはや美術品とも思えるような、城の彫刻やモザイクアート。

映画の表現に負けず劣らず、3Dで再現された迫力満点の戦闘モーション。

すごい。

いまやゲームのグラフィックは、このレベルでないとユーザーが満足しない時代になった。

これが当たり前、という水位の異常さ。

とてつもない。

毛穴や髪の毛1本に至るまで再現されたFFのCGも驚愕だったが、これはこれで「最高峰」と言ってよいのではないか。

 

(2)キャラの関係性や心の動きの描き方

マンガのようなコマ割りで描かれる仲間同士の会話シーン、「スキット」。

これがいい。

鉄仮面が半分割れ、自分の名を思い出したところから始まるアルフェンとシオンの旅。

ここでオープニングムービーに移行する演出もニクい。

以降の道中でリンゥエル・ロウ・キサラ・テュオハリムが順に仲間になるわけだが、いわば彼らは「桃太郎についてきた犬・サル・キジ」だ。

後になるほど桃太郎と過ごす時間は短くなるわけだが、そこをスキットによって埋め合わせ、全員のエピソードと成長がしっかり見届けられるように調整されている。

 

それぞれのキャラを観察していると、愛着がわくと同時にうまく作ってあることに感心してしまう。

 

●アルフェン

おおらかで誰よりも仲間思い。

ジルファ亡き後はしっかりリーダーとしての自覚も持ち、若いメンバーを精神的に支えている。

だんだんドラクエの勇者感まで纏うようになってきた。

味覚音痴・武具マニア・ロウと一緒に悪ノリすることがあるなどの「男の子的オチ要素」あり。

外れない仮面・痛覚や記憶がない、といった物語の謎の中枢としての存在感も◎。

 

●シオン

スルドを倒す旅の動機や、マスターコアを体内に宿している&荊により誰も触れられないという謎。

アルフェンと同様に物語の中核を握る重要なポジション。

お姫様のような恰好をしていることもあり、レナ人としても相当高い身分だったようで、奴隷スタートのアルフェンと好対照になっている。

 

気位も志も高いが、荊属性同様、仲間にもとげのある言葉や態度で接することがある。

一方で、食いしん坊だったり、ファッションに関心が高かったり、若い女性としての初々しさや茶目っ気もあり、そのギャップが「本来のシオンに会いたい」という気持ちにさせる。

印象としてはシスロデンを出るころが「荊モード」のピーク。

以降、他の仲間と過ごす中で、シオン自身が成長し、仲間との絆も育まれているように見える。

・アルフェン

唯一シオンに触れることのできる存在。

仲間として心からシオンを大切にしてくれるアルフェンに戸惑いつつも惹かれていく。

(※まだ途中だから確信持てないが、今のところそういうことだろうと思っている。)

・キサラ

年上の女性の加入により、少し気が楽になったのか、この辺りから態度が軟化する。

キサラに料理の作り方を教わるシーンは、「仲間を頼ることができるようになった」という成長の証なのだと思う。

 

●リンゥエル

こちらも星霊術を使えるダナ人として、謎多き存在。

「桃太郎」についてきた本当の理由もわからない。

考古学的なテーマに深い興味関心を示し、またそれを隠そうとするなど、彼女もまた物語のカギを握る存在。

シオン(レナ人)には頑なに心を許さなかったが、行く先々で目撃するダナ/レナという民族対立・あるいは融和が、次第にリンゥエル自身の「壁」も動かしていくことになる。

フルルが唯一の友達、と言っていた孤独な少女が、仲間を「家族」、敵対していたシオンを「姉」とまで呼ぶようになるシーンはグッとくる。

 

●ロウ

シオンの「いいこと?」/「腕組んで指パタパタ」の癖と同様に、ロウにも「しゃべるときに右胸を指で掻く」という変な癖がある。

本当は慕っていた父と和解することなく死に別れ、行く当てを失ってまさに「桃太郎についてきた」状態なのだが、その単純さも良い。

リンゥエルとは兄妹のような関係性だが、あとは皆年上なので、結構甘えている。

一方、シオン・キサラ・テュオハリムのような根っから生真面目なカタブツの中で、ロウの「テキトーにやる」というコミュ力がバランスをとってもいる。

つい夢中になってアルフェンと「男の子」のノリになってしまう、そこに付き合うアルフェンもいい兄貴だという気がする。

 

●キサラ

FF9のスタイナーやドラクエ11のグレイグもそうだったが、王に忠義を尽くす近衛兵、という設定なら、たいていこういう「べきである・ねばならないのカタマリ」みたいな人間性になる。

忠義のためなら命も捨てる、防御力重視、というのも共通している。

こういうことが向いている人間、というのもいるんだよね…。

実は牧師やテロリストにも多いんだそうな。

 

ただ、ちょっとこのキャラの設定にはいろいろ無理を感じた。

そもそも食うに困って自力で釣りを覚えたような過去を持つ、親を亡くした奴隷だった彼女が、生まれつきの貴族のような立ち居振る舞いを内面化しているというのは、違和感しかない。

それと関係があるかどうか分からないが、誇り高きクールビューティーが、兄を失った際に醜い声で泣き叫んだのは、演技指導というか、なんというか、もうちょっとやりようがあったのではないかという気がする。

 

FF7のヴィンセントやシドも同様なのだが、実質的には物語の核心部分に不可欠とは言えない、「ゲーム」あるいは「見た目」のバランスで設置されたキャラかな。

ストーリー上の制約が大きすぎて、人物としては描き切れなかった印象。

 

●テュオハリム

最後に加入したので正直まだよくわからない。

妙に哲学的になったかと思えば、身の回りのことすら自分でできないという幼稚さ。

ただ、これも時代かな、という味わいも見せてくれる。

自分の罪を忘れないためにマスターコアを持ち歩く、という話などは、この旅の性質上、本来全員が切実な思いになる話のはずだが、真剣に耳を傾ける者だけでなく、「クソマジ」な話に掌を上に向けて首を傾ける若者もおり、テュオの問題はあくまでテュオ自身の問題でしかない。

「多様性」とか「自由」というのは本質的にこういうものなのだろう。

誰もが自分の人生を背負って生きているのだし、自分の問題と他人の問題は常に違う。

こういうところは、ゲームをやっていて考えさせられるところでもある。

 

(3)戦闘システム

これは「コンボを決めて大技でとどめを刺す」ことを目指すゲームなのね。

逆にコンボを決められると雑魚戦でも一瞬でピンチになり、貴重な回復アイテムを消費せざるを得なくなるから、できるだけ早く相手の体勢を崩してコンボにもっていかなければならない。

仲間が全員そろって、やっと分かってきた。

仲間の技の使い方も毎回チュートリアルがあるし、これはいいんじゃないの。

 

あまりに情報量が多いというのは否めないが、これはテイルズにしかないシステムで、戦闘そのものの楽しさを追求したという点で、一つの到達点だと思う。

FF7Rで頻発した「大技コマンド出して貴重なゲージ消費した瞬間にムービーでキャンセル」というストレスが発生しないのは素晴らしい。

テイルズで遊んだ人がFF7Rの戦闘やると、こういう点では我慢できなくなるかもしれん。

 

うん。

折り返し地点ぐらいだと思うが、もうこの時点で遊んでよかったと思えている。

単純で分かりやすいストーリーだと思うが、クリアした人の談ではもっと深みがあるらしいので、続きを楽しみにしたい。

テイルズオブアライズ、傑作です。