大阪の海は

悲しい色やね

さよならをみんな

ここに捨てに来るから

        上田正樹 『悲しい色やね』

 

名曲だ。

泣いたら、アカン。Hold me tight.

 

さて、この1番のサビが上田正樹のしゃがれたハスキーボイスで歌い上げられた後、

そこに食い気味にかぶさってくるむせび泣くサックスソロ。

聴き方次第では、この曲の最大の見せどころ/聴かせどころはここかもしれない。

夜の港にはなぜサックスの音色が似合うのだろう。

夜霧とサックスよ、今夜もありがとう。

 

ギターにも、「泣きのギター」というものがある。

奏法、でもないし、曲調、でもない。

ギターが、泣くのである。

しくしく、めそめそ、わんわん、

キュイーンっと、ギュイーンっと、ギュワワワーーーンっと。

 

そうよ、泣いてもいいのよ、セーニャ。

今だけは、思いっきり泣きなさい。

なんつって。

 

FF7Rでもそうだったように、最近のゲームは、特にRPGは、「泣けるシーン」がもはや必須なのだ。

なぜなら、動画サイトで実況動画が再生されるには、感情を共有できることが必要だからだ。

ゲームの実況動画が面白いのは、自分自身がピコピコボタンを押していなくても、みんなで感情を共有する体験ができるからなのだ。

現代人は、みんなで歌ったり踊ったり儀式に参加したり、そういう共有できるものを持たずに利益集団・機能集団と化した「職場」でほとんどの時間を過ごしているために、感情が劣化し、干からびている。

自分でその渇きに気づくからこそ、ゲームによって呼び覚まされる感情と、それを他者と分かち合える場を欲するのである。

 

で、何が言いたいのか。

双子の魔法使いは片方(目立つ方)が死ぬ。

 

うまい。うますぎる。十万石饅頭※。

(※埼玉のご当地銘菓のCM。テレビ埼玉で流れる。埼玉県民で知らない人はいない。)

 

すべては仕組まれていたか…。

脚本。うん。

ベタ×ベタで、正面突破するのか。やられたぜ。

 

思えば、ベロニカとセーニャは双子だから、本来見た目はそっくり。

パーティーに加える女性キャラ枠2人分を、色違いで埋めるのはちょっとありえない。

赤と緑。

赤の方が目立つ。

 

大人と子供(サイズ)。

子供の方が目立つ。

 

高い声と低い声。

高い声の方が目立つ。

 

そのうえ全体攻撃ができるため、ベロニカはいつも1軍でみんな使っている。

 

散々目立たせておいて、出ずっぱりのレギュラーにさせておいて、最後に復帰するはずだったメンバーを期待を裏切って欠けたままにする。

この喪失感。

葬式もしっかり見せる。

それは、プレイヤー自身の喪失感を確認させるための演出だ。

元のパーティーには戻れませんよ、残念でしょう、と。

 

そして、両親を気遣いつつ健気に気丈に振舞うセーニャが、こらえきれずに一人で泣く姿。

たまらん。

で、ゲーム的には後から1人増えた分、また色違いで2枠埋めるのがありえなかった分、2人を1人に統合してしまうという荒業。

 

もう一度言おう。

うまい。うますぎる。

巧妙にして王道。

清々しいまでの正面突破。これがドラクエか。

 

まあ、FFと演出が重なるのは、そこに気づいた人が楽しめばいいと思う。

大切なものを失った友達以上恋人未満の仲間が夜空の下で一人泣いている。

うん、どこかで見た。(FF7Rティファ)

美しいロングヘア-がトレードマークの女性が、決意を新たに自分で髪をバッサリ斬り落とす。

うん、これもどこかで見た。(FF9ガーネット)

※ガーネットは歌、セーニャは竪琴、というのも、ファンタジーあるあるとはいえ…。

 

そもそも命の大樹(DQ11)自体、イーファの樹(FF9)そのものだし。

 

スクウエア・エニックスということは、FF・ドラクエということだから、これはアリなのだ。

それは食材が決まっていてそれをどう料理するかを競い合う昔の「○○の鉄人」のように、FF的調理法とDQ的調理法の違いを味わうものなのだろう。

このシーンがあればこそ、終わってみればプレイしてよかったと思えるゲームになっているはずである。

これが、この作品の一番の泣きどころであり、それこそが見どころである。

ベロニカ、forever。

やりこみ要素のためにたぶん復活するだろうと思っているが。

 

明日につづく。