技術の発達、特にCGの表現力やユーザーインターフェースの直感的操作性/あるいは芸術性、そういうものはこの20年で恐ろしいほど進化した。

 

きっと、生まれたときからこのレベルの技術に囲まれて育った世代は、人工物にゆるぎない信頼を寄せるであろう。

それがいいことなのかどうかは、また別の話。

 

さて、そういうわけでゲームは私が子供のころ遊んだものと比較にならぬほど進歩しているのだが、それでもなお、「ドラクエ」こそがおじさんたちの心をつかんで離さないのは、単に夢の中のノスタルジーがそこにあるからというだけでなく、単純に、「ゲーム」として、みんなを楽しませ、驚かせ、感動させ、夢中にさせるものを、世に送り出そうとした、作り手の志があるからだ。

結局、技術がどんなに進化しようと、本質的な部分、最も大切な部分は全く変わらない、そのことを最新の技術で証明してくれているところに、ドラクエが作り続けられる意義があると思う。

 

連日の「終日廃人プレイ」により、カミュが仲間に復帰するところまで来たのだが、各メンバーが2度目に仲間になる順序が最初と逆。

これは意図されたものだろう。

初めに旅立ったイシの村で、再び母に見送られつつ後半の旅を始めるとき、「最後の仲間」であるグレイグが「最初の仲間」になっている。

その後も、回収される順序はロウ→(シルビア)→マルティナ→カミュという、多少の前後はあっても初めて仲間にしたときと逆の順番だ。

 

これもRPGあるあるだと思うのだが、後から仲間になるキャラは、一緒に旅をした時間が短いので存在感が薄くなる。

FFで言えば、7のシドやヴィンセント、9のサラマンダーなど。

10では全仲間キャラがほぼ最初からそろっている。

 

今回のドラクエでは、この圧倒的なボリュームで、前半でたどった道を逆回転させて倍の分量にし、勇者と過ごす時間がどのキャラもほぼ同じになるようにうまく調整されている。

都合がよすぎる展開に思わず苦笑してしまう面もあるが、これが映画ではなく、ゲームであることによって許容できてしまう。

そう、「勇者というロールプレイ」の都合を優先することが、ゲームとしては「正解」なのだ。

その辺の開き直り方というか、潔さというか、「ゲームでいいんだ」いや、むしろ「そういうゲームがいいんだ」という立ち位置の認識が、長年愛される作品の中心に据えられていると思う。

 

さて、ベロニカとセーニャを迎えに行かなくては。

ははは。

皆さん、良い連休をお過ごしください。