マルティナを再び仲間にした。
ウルノーガによって大樹が落とされて以降、ここまではいささか退屈だった。
もうストーリーもほとんど展開が読めているうえに、もはやオヤジギャグと言っても過言ではないような定番ネタでせっかくの緊張感を台無しにする感じ、制作陣の中枢にいる人たちの高齢化が心配だ。
以下、感じたことをメモ程度に。
●同じマップを2周する
私は「FF派」だったので、実はドラクエはつい最近まで一度もプレイしたことがなく、今年に入ってPS4で3の廉価リマスター版を遊んだ程度の知識しか持っていない。
しかし11は3のオマージュと解釈しても十分成立するぐらい、構造が似ている。
もしかすると他作品も伝統的に同じなのかも。
ウルノーガ登場前後でもう一度同じマップでチェックポイントと仲間を回収する設計は、賛否が分かれるというか、許容できるかどうか、人によって異なるだろう。
正直、退屈で面倒だ。
●地球儀としてのマップ
3で遊んだ時、「ジパング」がまるっきり日本の形をしていて、「あ、これ、地球の世界地図じゃん」ということに気づいてからちょっと面白かった。
11でも、随所にアジア・中東・南欧・北欧的な要素が出てきて、本当に世界中を旅している気分になる。
ただし、やはり日本人が日本人向けに作ったという感覚は随所に見受けられる。
関西弁や東北弁、沖縄そのものみたいな村まであり、日本人でないと理解できないネタが多すぎる気も。
●古参ファンが求めるもの
好きなミュージシャンが同じファン同士で集まったとする。
すると、必ずと言っていいほど「昔の作品の方が良かった」と言って、新譜のここが良くない、という古参ファンがいるものだ。
私が好きなメタリカなんぞは、3rdの『マスター・オブ・パペッツ』という作品が最高傑作と評されることが多く、世界中でスタジアムを満杯にできるほどのモンスターバンドになって以降の作品を、ある種の大衆迎合として酷評する向きもある。
私は今のメタリカも好きだが、いかんせん、ライブ演奏は聴くに堪えない。ヴォーカルは音をはずしまくり、ドラムのリズムは不安定、ギターソロはミスタッチの連続と、もはやCD音源をライブで再現できるほどの演奏体力はない。
こういうことは、音楽では、あるあるネタと言ってもいいかもしれない。
さて、ドラクエのような代表銘柄ともなると、そのタイトルを冠した時点で、できることとできないことがある。
メタリカが普通のロックをやっても古参が満足しないように、ドラクエが例えば鳥山明のキャラクターをはずしたら、もはやそれはドラクエとは呼べない、と言われるはずである。
2021年の夏時点で最新作のドラクエ11において、ほとんどストーリーもマップもゲーム全体の設計も予定調和的になるのは、伝統を受け継ぐ老舗の様式美と解釈すべきだと思う。
やはりドラクエは、ある程度歴史を知ったうえで遊ばないと、十分に楽しめるものにはならないだろう。
●スクウェアとエニックス
FF9が、それまでの過去作の集大成的作品であり、テーマである「命」のシンボルとして「イーファの樹」があったのと同じように、ドラクエ11もまた、過去全作の追憶サブクエストと、代々受け継がれてきたシステムを軸に、ストーリー上は「命の大樹」が物語の中心に据えられている。デザインもそっくりだ。
(※追記:セーニャが長い髪を短剣で切り落とすシーン、FF9のガーネットと全く同じだ。やはり共有しているコンセプトがあるのだろう。)
この2社が経営統合したのも、ある種幸福なマリアージュだったのだと思う。
同じテーマで自由に作品を作れる環境は、他にはない。
どちらもプレイしているユーザーなら、この2つを比較しながら味わう楽しみもあるだろう。
●性と笑い
このシリーズの記事ではすでに書いたが、性と笑いの関係性が、これまた日本的。
特に昭和末期~平成前半ぐらいまでの、同質性の高い日本であればこそギャグのネタになりえた性と笑いの関係性が、グローバルに顧客を想定する段階に入った時、変われるのか、という問題がある。
アラフォー日本人の私でさえ、シルビアのオネエネタは、さすがにくどすぎて興ざめした。
さて、私が気に入っているカミュがまだ回収できていないので、続きやります。