やってしまった。
何を?
いや、無粋なことを聞くでない。(ファンタジー口調。病気か、俺は。)
いいのよ、夏休みだし。
外に出るなってずっと言われてるし。
ただ、目が疲れて、肩が凝ったけど。
原因はカメラワークとフィールドでの操作性。
ここは、ほんとに残念。
レベル上げの作業が好きなので、ずっとやっていたら追加エピソードのカミュがボスを一撃で倒してしまった。
わはは。
(分身→2回攻撃の組み合わせで6倍ダメージ入れられることに気づいてしまった。)
たぶんそろそろ終盤です。
各キャラのエピソードが丁寧に深く描かれていて、それぞれ愛着がわく。
ドラクエ流、「自分が勇者になりきる」というのも、魔王に破滅させられた世界を救う段階になると、ベタだけどこれがゲームとして一番しっくりくる感じ。
「ドラクエ」とは、そういう「お約束」をいかに楽しむか、というゲームなんだと思う。
ストーリーも「王道」以外の何物でもないし、演出もあからさまだから、「あ、こいつが黒幕か」「あ、こいつは死ぬのか」「あ、こいつはやがて味方になるのか」という具合で、意外性は全くない。
しかし、ストーリーの進行と同時に宝探しやレベル上げ、クエスト攻略、武器・アイテムの作成など諸々のオプションを、全体のバランスを崩すことなく楽しめる、この設計のバランスはさすが老舗の看板作品だ。
HPが頑なに3ケタで維持されているのもバランスなのだろう。
10倍強くなることはあっても100倍以上強くなることはない、という、「強さのインフレ」対策だと思う。
だからこそ、キャラ固有のアビリティが戦闘のバリエーションを楽しむ上でもキャラの個性を演出するうえでも有効なフックとして機能していて、どこまでもやりこみたくなる。
基本的にやっていることは同じことの反復なのに、このボリューム満点の内容を飽きずに「もっとプレイしたい」気にさせるのはすごい。
ただし、気になる点もいくつか。
前述の操作性の問題に加えて、鳥山明の手癖の悪さによってせっかくのキャラの魅力にマイナスの影響が出ているのが残念。
①ロウ…失意と絶望の過去を持つ勇者の祖父が、亀仙人と同様のスケベ翁という描かれ方。
②マルティナ…ロウと同様、王家の生まれで気高い志を持つ強き戦士が、「ヒップアタック」だの「バニーガール」だの、「性」に引っ張られる。
③シルビア…せっかく登場時はジェンダーに対するリベラルな回答として評価できたのに、過剰に自分のことを「女」と語ったり、仲間にした連中にオネエ言葉を使わせたり(使わせたのは作者であってシルビアではないのだが)、これも結局「性」に引っ張られている。
鳥山明の世界観、私は好きだ。
男は男らしく、たくましく、凛々しく。
女は女らしく、優しく、美しく。
老人は老人らしく、聡明で、思慮深く。
子供は子供らしく、素直で、無邪気に。
性別や年齢に、近頃では「権力からの押し付け」「差別や偏見をまとった自由の敵」と袋叩きにされている伝統的(中世的または封建的)な役割を持たせている。
そういう世界の方が、はっきり言って、私は居心地がいい。
自分と感じ方や考え方が違う人がいて、その人たちの自由も、幸福も、大切だよね、という「正しい知識」は積極的に受け入れたいが、自分にとって居心地がいい世界も、手放したくはない。
街で雪合戦をしていた男の子と女の子。
表情も仕草も、感動的なぐらい、かわいらしかった。
子供たちをこのように描く作り手のまなざしもまた、優しい。
勇者の育ての母の涙、
育ての祖父の優しさ、
ロウの涙と決意、
胸を打たれた。
皆美しい姿で描かれる女性たち、
王女も姫も魔女も、
やはり美しい女性を中心に世界は廻っているのだと思う。
そして、勇者は、勇者の最初の友は、民衆の英雄は、男性なのだ。
ここに異を唱えるフェミニストは、はっきり言って、感受性のバランスが悪いと思う。
筋肉見て、役割の違いに気づけよ、という感じ。
ファンタジーだが、これこそがユートピアであり、この構想を多くの人が無意識に共有・共感できてしまうからこそ、こうした世界観が伝統的に、少なくとも20世紀まで続いたのである。
「温故知新」
これもまた、よくできた言葉だ。
今の世界、バランスよくしようとしてるけど、結果的にバランス悪くなってないか。
やっぱり、自分の性や年齢に違和も不本意もないのなら、感じるままに素直に自然に生きるのが一番だ。
男は男らしく。
女は女らしく。
子供は、老人は…
少数者に対する正しい知識としなやかな想像力とともに、数が多くなるとそれだけで権力性や政治性が生まれてしまうということにしっかり注意を向けていれば、それほど大きく傷つく人もいなくなるのではあるまいか。
今はまだ、その過渡期なんだろうなあ、と思いながら、1日中ドラクエをプレイした夏の日でした。
明日もやるぞ。