コロナ禍のオリンピックにはすでに大きな収穫がある。
この国で政治や経済を主導している連中、そして本来そういう連中を監視するのが仕事のはずのマスコミが、「今だけ・金だけ・自分だけ」のクズな卑怯者だらけであること、だから、そういう連中の口車にのせられることなく、正しい批判精神を手放すことなく、自分と、自分の仲間を、自分自身の手で守り抜かねばならぬこと、それを、多くの人が本気で認識するようになった、ということだ。
最近では、「プライド」という言葉はマイナスの意味で使われることも多いように思う。
プライドの高さゆえに己の愚かさや弱さを認められず、同じ過ちを繰り返す。
プライドゆえに人を傷つけ、自分を追い詰め、身を亡ぼす。
「男のプライド」のおかげで女性は不当に差別され、その幼稚な執着に辟易している賢明な女性は多いことと思う。
しかし、人間、「言葉」と「顔」には責任と矜持を持つべきである。
アホっぽい言葉を使っていると、本当にアホっぽい顔になるのである。
嘘ばかりついていると、本当に人相が悪くなるのである。
腹芸ばかり繰り返していると、どこかの国の大臣みたいに、自分でも気づかぬうちに口が曲がってくるのである。
日本の権力者の、あの顔。
「いい顔」が一つもない。
その場しのぎの調子のいいことだけペラペラしゃべって、頭の中は忖度や損得、思い込みや個人的執着だけが詰まっていて、誠実さのかけらもない。
そうやって、自分が語る「言葉」にプライドを持っていないから、どんどん顔が悪くなっていくのだ。
オリンピックの開会式に女性蔑視発言でクビになった爺さんが出席していた、という「ネタ」は、もはや見事というほかない。
あの人は私が大学1年のときに総理大臣をやっていて、当時私は史上最も学力の低い首相だと思っていた。
「顔」の話をしている最中ではっきり言ってしまうが、もはや死相が出ている。
ゾンビみたいな面して最後の面汚しを自ら進んで行うとは、やはり学力はネズミ以下だったようだ。
一方、オリンピックが始まってしまえばこぞってその話しかしなくなるマスコミ。
昨日まで世論に迎合して政権批判をしていたような連中まで、「感動」という名の「ポルノ」を「消費」する。
こっちはこっちで、既得権を手放さずに稼業が続けられれば御の字、健全な民主主義?市民の啓蒙?真実の報道?何それおいしいの?という魂胆で生きているんだろう。
こういう、右を向いても左を見ても、まともな言葉をしゃべっている人間がほとんど見当たらない、という世界で、私は読書をお勧めする。
本の中には、特に古典には、本当に気骨のこもった真実の言葉が記されている。
経済の低迷よりも人間の精神の劣化の方が深刻なこの国で、自分の言葉と顔に責任と矜持、つまりはプライドを持ってまっとうな道を生きようとするのなら、あるいは卑怯なクズが大手を振って自分の世界を仕切っているという苛立ちの中で正気を保とうとするのなら、読書は呼吸と同じぐらいなくてはならない営為だ。
きっと、馬鹿の辞書には「卑怯者」という文字はないのだろう。
「自分が馬鹿だということが分からない人間のことを馬鹿という」という秀逸な定義と同様、「プライドがないから卑怯なことを言ったりしたりしても何とも思わない奴のことを卑怯者という」ということでいいのではないか。
俺はアラフォー独身ブラック企業勤めのオッサンだが、どんなに落ちぶれても、卑怯者にはなるまい。
今日も、読書だ。