年齢とともに体のバランスはいろいろ変わっていくのでしょうが、今私はこれまでになくつらい頭痛にのたうち回っております。

熱はないものの、「もしやコロナでは?」という心配はぬぐえません。

 

昨年は2回発熱し(2回ともなぜ熱が出たか分かっていない)、2回ともPCR検査を受け、陰性でした。

偽陰性もあるのでそれでも心配でしたが、家族も職場も誰も感染しなかったので、結果的に私は未感染、ということでいいのだと思います。

 

1回目は相当焦りました。

職場のこともそうですし、さらに私は70歳を超える高齢者2人と同居していますので、万が一のことがあったらどうしよう、と、これまで生きてきた中でも指折りの不安にさいなまれました。

PCR検査の予約を取って、フラフラしながら車を運転し、祈るような気持ちで病院に向かいました。

車から降りて、ふと空を眺めたとき、なぜか口から「みんな…」という言葉が出てきて、ちょっと涙ぐみました。

「みんな」とは、これまで私を愛してくれた人たちのことでした。

そして、自分がいろいろな人たちからの善意や真心を、普段意識せずに当然のものとして受け取っていることに、情けなさと、感謝と、あと、これからもうしばらく、あと10年ぐらいたつと、きっと自分は一人になるのだ、ということを想像して、口から出たのが「みんな…」でした。

 

もし、その後に続ける言葉があるとしたら、「ありがとう。」なのでしょう。

いま、昨年のあの日のことを思い出し、同じことを考えています。

 

桑田佳祐のTSUNAMIという曲の歌詞に、こんなフレーズがあります。

 

人は涙見せずに大人になれない

 

与えられたもののありがたみを理解するということは、それを失ったときの辛さが分かるということであり、取るに足りない小さな弱い自分が、今こうして何かの力によって生かされている、ということを、頭でなく心と体で自覚するということです。

そして、今は亡き人と、今は一緒にいてもいつかは必ず別れることになる人、「みんな」に「ありがとう」と伝えようとするとき、その切なさにもう大人になったはずの自分が、思わず涙ぐんでしまう。

 

こういうことって、健康な時には全く頭から忘れられているんだよなあ。

 

…、でも、早く治ってほしい、謎の頭痛。