●誰がため、そして循環

この世界は誰のものなのか。

 

言うまでもなく、この世界は「みんなのもの」だ。

人間だけでなく、生きとし生けるすべてのものを含む「みんなのもの」だ。

 

グローバル資本主義を動かしているのは誰か。

 

グローバル企業の経営者?

グローバル企業の従業員?

しかし、その会社の商品やサービスを消費している人々は?

つまり、今やほとんどの人が問題だと思っているグローバル資本主義は、これまたみんなの手によって動かされている。

誰かが「グローバル資本主義を動かそう」という意思を持っているわけではない。

みんなの欲望を原動力として、勝手に動いている。

 

問題は、

包摂か、排除か、

収奪か、循環か。

こういうことだと思う。

 

巨大なハイテクビルの前に立つと、うんざりする。

これぞ現代の「バベルの塔」だと確信する。

傲慢さが天まで伸びているような気がする。

その豪華で美しいハイテク建築に出入りできるのは入館証を持っている人間だけなのだ。

世界中から集められた資源を使ってものすごい建物を作って、選ばれた人間だけがその中で気分良く過ごしている。

 

巨大建築は、排除と収奪の象徴のような場なのだ。

 

もし、世界を「みんなのもの」とするならば、みんなを包摂し、しかも不断の成長を前提とするのではない、循環によって成り立つシステムを構想しなければならない。

世代間でまともな社会と資源を継承し続けていくには循環という発想が不可欠であり、それが一番多くの人を幸せにできる社会であると思う。

 

誰がために、それは、みんなのためであり、私とあなたのためであるのだから。