ドラクエ3、もうしばらくレベル上げして、ゾーマ倒して終わりです。

 

レベル上げるのがちょっと辛いですね。

 

邪道かもしれませんが、多少の攻略情報ないとやっぱりきついです。

 

特に職業の情報。

もし、何も知らずに子供のころプレイしてたら、勇者以外全員格闘家とか、印象だけカッコよくてバランス超悪いパーティー作って詰んでたと思います。

王道の攻略情報を知っているから、おとなしくバランス型で進められたんです。

 

そんなドラクエをやりながら、ふと思ったのです。

 

人生って、ゲームそのものじゃね?

それもかなりバランスの悪い、クソゲーじゃね?

 

たとえば、学歴。

 

これも一種の「攻略情報」ですよね。

人によっては、学生時代にどんなスポーツやってたら就職に有利だとか、ミスキャンパスに選ばれたらアナウンサーになりやすいとか、英語やプログラミングのスキルがあるとつぶしがきくとか、そういうことまで綿密に計画して、人生という名の「ゲーム」に挑んでいるわけです。

 

そういう風にして「成功」する人がいてももちろん構いません。

それに、そういう計画を立てて実践するにも、ある種の「能力」と「努力」を必要としますから、成功した人は、「私は私の才能と努力と通じて成功したのだ」と言うに違いありません。

現在大活躍中の大谷君だって、「プロ野球、それも、メジャーという舞台で、『エースで4番になる』」というミッションを自分の人生ゲームのゴールとして設定し、そのミッションをクリアするために必要な条件を、一つ一つ、クリアしていったのです。

※パワプロという野球ゲームでは、育成モードで遊ぶと500分の1の確率で「天才」が出現するのですが、天才が出ても必ずしもうまく育たないことが多いです。よくできてますよねえ。。。

 

しかし、やっぱり人間は、育った環境、特に親からの影響を強く受けますから、どういう「攻略情報」に触れて育ったかによって、運命は大きく変わります。

それに、「人生ハードモード」などという言い方もあるように、生まれつきの条件というものは、身もふたもないほど残酷です。

健康であることは、これがなかったらゲームも何もない、っていうぐらい、必須の条件ですが、必ずしも全員に与えられてはいません。

あるいは、知力や体力に恵まれなかった男性、容姿に恵まれなかった女性、

いや、もしかすると性的マイノリティであることによってゲームが不利になる、という人までいるかもしれません。

 

仮にパワプロの天才型よろしく、条件に恵まれていたとしても、ダイジョーブ博士の手術が失敗したら、一巻の終わりじゃないですか。

(ゲームの話ですみません。ランダムで出現するギャンブルイベントで、成功すれば大きく能力が伸びるものの、失敗するとゲームオーバー同然の結果になる、というものです。要するに、運、なのです。)

 

王子様が一目ぼれするような美人だったから貧しい家政婦はシンデレラになれたのであって、つまりシンデレラは美貌を売りにしてオーディションで一発当てたアイドルみたいなものであって、そのゲームには無数の敗者が存在するのです。

 

さらに言えば、この社会は一見能力主義がゲームの基本ルールであるかのように喧伝されていますが、本当に能力のある人はほんの一握りで、サラリーマンなんて、そのほとんどが、無能な、でも勤勉で正直な普通の人間達であり、ということはむき出しの能力主義にさらされればひとたまりもないのです。

そういう人たちが多数派ですから、今度は自分たちの「正社員」という身分を守ろうとします。まあ、当然です。

すると、「非正規」と呼ばれる人たちにしわ寄せがいくわけです。

これは、場面によっては不当な差別に見えることもありますし、見えるだけでなく、差別そのものでもあったりします。

(私は氷河期世代ですからね。)

 

日本は、能力主義(階級社会)と立場主義(身分制社会)のダブルスタンダードというか、しかも昔は「一億総中流」という幻想のもとに統合されていた歴史をも持っているので、ゲームのルールが非常にねじれており、互いに矛盾しているのです。

 

そして、生まれたときから特別な環境で、攻略情報もたっぷり与えられて、能力主義的に言えばフライング、立場主義的に言えば下駄をはいていたような、「ズルい」連中が「勝者」になっているのです。

そして、この「ズルい」というのが質が悪く、ズルいと感じてしまうのは敗者のルサンチマンそのものであり、勝者は無邪気に「勝ってしまった」のであって、律儀にピストルが鳴るまで待っていた人や履かせてもらえる下駄がなかった人がいたということすら、目撃したことがないのです。

 

そして、自分たちと同じような、人間的にも魅力にあふれる「勝者」のコミュニティの中で、「SDGsですわ、おホホホホ。」とか言いながら、自分の手を汚すことなく、人生の果実をたっぷり味わい尽くすのです。

敗者は彼らを「上級国民」と呼んでいます。

 

この、何とも言えずいやらしい言葉遣いの中にあるのは、「分断」です。単なる「格差」の問題ではないのです。

上の階級の人間が下の階級の人間を搾取していたり弾圧していたりするならまだ話は分かりやすいのですが、そうではなく、下の階級の存在が上の階級の視界から消失していて、そこに連帯や同じ社会に生きているという共感は生じないのです。

それこそが現代の日本の最大の悲劇だと思います。

そういう国で、政治家が語る「民意」とは何でしょうか?

政治家の視界から「国民」が消失しているということは、ごく最近のオリンピックと緊急事態宣言のネタから明らかでしょう。

 

最近、「俺は攻略情報も知らなかったし、教えられたルールはほとんど嘘だったし、さらに本当はこういうルールだったのかと気づいたことすら後からめちゃくちゃに変更されるし、もうこのクソゲーで何かを手に入れようとすること自体、やめようかな。」と思い始めています。

 

いや、完全にやめることはできないのですが(生きていくにはお金が必要です)、でも、「何かを手に入れようとする」、その「何か」とは、たとえば承認されること、良い人間・優れた人間だと認められようとすること、異性から選ばれること、権力を手に入れようとすること(この欲望はもとから持ってない)、そういう「ゲームの報酬」です。

そういうものを期待して生きることは、やめようと思うのです。
 

このブログに度々書いていますが、最近の若い女性、特に仕事をもって自立している女性たちは、本当にゲームのプレイヤーとして強くて賢いと思います。

ねじれたルールに加えて、女性に不利なゲームになっていますので。

それを自覚したうえで、凛とした態度で背筋を伸ばして自分の人生を生きようとしている姿が、カッコいいです。

 

新宿とか歩いていると、自分を魅力的に見せる服装やメイクを研究しつくして、しかもそれが自然体でさりげなく、自信に満ち溢れていて、人生の「得る物語」の中で前しか向いていない、そういう女性を見かけることがあります。

「人生なんてクソゲーだ」などと不貞腐れた文句を言っている40過ぎのオッサンとの、この差よ。トホホ。

 

思えば私の両親は、人生がゲームであるということにすら気づいていないような甘ちゃんでした。

やっぱり私は両親の人生の課題をも相続しているのだと思います。

でも、私は両親の未熟さを赦すことができます。

そうでなければ自分自身を受け入れて生きることができず、幸せになれませんから。


ドラクエ3は、攻略情報見ながらあとちょっとでラスボス倒します。

ゲームバランスがしっかりしているうえに、情報あると、楽だね~やっぱり。