名曲扱いされているが、私はそうは思わない、というヒット曲について書きます。
タイトル通り、あくまで個人的なもので、「自分はそうは思わない」という人もいて当然だと思います。
カレーが好きな人もいればそうでない人もいる。
結局は、ただ、それだけのことです。
でも、食べ物の好みと同じように、自分の好みをしっかり分かっているというのは大事なことだと思います。
今の世の中は様々な情報が散乱し、また自分自身の承認欲求も絶えず刺激されてしまうので、他人や世間が「よい」と評価したものは、自分も「よい」と思い込まされてしまう、あるいは思い込まないといけないような気にさせられてしまう、そういう油断ならぬ仕掛けがあちこちに隠されているのです。
好きな食べ物と同様、自分の基準というものを見失わずにいたいものです。
さて、以上の前置きを踏まえたうえで、
「名曲扱いされているが、俺は迷曲だと思ってる」ヒット曲を、ご紹介します。
①SMAP 世界に一つだけの花
テレビが作り出した「国民的人気者」にダイバーシティを称揚するような優等生ソングを歌わせるところまでは、まあ許せる。
しかしながら、歌詞。
ロジックとしても、表現としても、稚拙としか思えない。
「花屋の店先に並んだいろんな花」を人間の多様性になぞらえているわけだが、まずその比喩は妥当なのか。
植物の世界には競争原理がない、ということは決してない。
花弁を持つ被子植物は進化の過程でたどり着いた生存戦略だ。
草むらや雑木林のようなところでは、背の低い植物は日光が当たらず、成長できない。
だからできるだけ垂直に、上へ上へと延びていこうとする。
つまり、「一番」という序列の情報は必要なくとも、とにかく他の植物に勝とうとする。
しかも花屋で販売されているのは商品用の、時には人工的な品種改良までして作った売り物の花であって、きれいなのは当然である。
それが雑草だったら?
他者と自分を差別化するような美しい花が咲くなら「ナンバーワンなんて競う意味はないよね、みんな違って、みんないい、オンリーワンだよね」でOKだろうが、花の咲かない植物だったら?
さらに言えば、植物の光合成に必要な水や日光は地表全体に降り注ぐが、生物の場合、獲物を捕食するにもつがいを作って遺伝子を保存するにも、「奪い取る」ということが不可欠の条件になっている。
角が大きい方がメスをものにできるとか、群れのボスがハーレムを作っているとか。
それぞれの生物には固有の生態があり、「競争」というのも人という群居性の知的動物にとっては個体の遺伝子や種の保存にとって必要な属性だったに違いない。
勝負事に強い、負けん気が強い、そういう人がいるなら、「一番になること=自分の花を咲かせること」に他ならない。
以上のように、この比喩はロジックとして破綻している。
無意味な競争に駆り立てられる日々に違和や不本意を抱きつつ、そうした労苦が微塵も報われることのない日々(失われた〇十年)を過ごしてきた平成の日本人にとって、「ナンバーワンよりオンリーワンだよね、そのままの僕で、私で、OKだよね」ということを、国民的アイドルが声高に宣言してくれたら、少しは慰めになったのかもしれない。
しかし、ナンバーワン/オンリーワンという言葉遣いに引っ張られて、「もともと特別なオンリーワン」が「その花を咲かせることだけに一生懸命になる」過程で、何の競争原理も働いていないかのような誤解をしていること、社会を作って資源の分配をめぐるゲームに参加せざるを得ないヒトという動物種が、花屋の店先に並んだ花と何が同じで何が違うのか、ということを確認しないまま、最初から最後までその比喩に執着していること、私にとってこの歌詞を受け入れがたい理由はそこにある。
誰が調べたか知らないが、この曲が「親が後世に残したいと思う曲第1位」だそうな。
いや、ナンバーワンになってるやん。
※ただし、どういう集計だったのかわからんので、話半分ととらえているが。
こんなものを子供の教育、という視点から歓迎している親がもしも集計通りの多数派だとしたら、この国はもう終わっている。
他にも書くつもりだったが、長くなったのでいったんブレイク。
次に控えているのはこんな曲たち。
②Bz ウルトラソウル
③一青窈 ハナミズキ
④徳永英明 壊れかけのRadio
それ以外も、思いついたら。
つづく。