緊急事態宣言を再発令するそうで、もうみんなあきれ返っている。

 

人間、間違いがあるのは仕方がない。

完璧な人間などいない。

 

政治だって、あっちを立てればこっちが立たぬ、全方位にいい顔はできない。

資源は有限だからね。

 

しかし、自らが語る言葉に責任を持つことはできる。

いや、それができない人間など、倫理的に劣っている。

 

もう、企業や政治のリーダーたちに、そういうものを期待できる世界ではなくなっている。

それは、「コンプライアンス」という言葉が幅を利かせだしたころから始まっていると思う。

 

「コンプライアンス」の何が問題か。

当然、法治国家においてそれを守るのは必要なことだ。

しかし、この言葉は、倫理の言葉ではなく、損得の言葉なのだ。

 

法律を破ると賠償金を請求されたりして損をするから、やらない。

そういう問題か?

じゃあ、法律に書いてなかったら何やってもいいのか。

誰が何と言おうと、自分は正しいと思う、自分は間違っていると思う、そういう「生得の倫理」はないのか。

時として、法律の方が間違っていることだってある。

他人の倫理じゃなく、自分の倫理があるだろう。

ないの?

ないんだろう。

だから駄目なんだ。

そういう連中が権力を持っているから。

私の考えでは、新自由主義者という奴らはもれなくそういう連中だ。

 

で、政治家。

同類だろ。

「国民の命を最優先」だって?

「専門家の意見を聴く」だって?

大嘘じゃねえか。

 

嘘つきは泥棒の始まり、

俺は子供のころにこう教わって、今日まで真実だと信じている。

これが、生得の倫理だよ。

 

お前のは、「嘘も方便」?

しかしその方便は誰のためのものだ。

誰かの損得を忖度?

 

よくもまあ、何度も大勢の同胞(そもそも国民を「自分の仲間」と思っていないだろう?)が見ている前で、思ってもないこと言えるよな。

 

というわけで、この国の頭は腐っている(そうじゃなきゃ、氷河期世代のような被害者が生まれるわけない)ということが再度明らかになったところで、いっそのことオリンピックは盛大にずっこけて、世界史に名を刻んではどうかと思う。

のちの人類が教訓とするだろう。

やっぱりね、人間は自分の倫理を持つべき。

自分の法を。

それが完璧でなくても構わない。

独りよがりはダメだが、結局は、自分の経験、自分の記憶、自分が何を信じて何を大切にしているか、それに従って人が動くから、社会の倫理だってある程度まともに保たれるんじゃないか?

 

コンプライアンス社会とは、言葉が損得に縛られた社会であり、そういう社会は金儲けが回っているうちはごまかしがきいても、危機に対応するとなったらきわめて脆弱だ。

まあ、考えて見りゃ当たり前だよな。