この世界にあふれかえる「言葉」が、とにかく空疎で、中身がないと感じる今日この頃です。

 

最近の流行語、「SDGs」についてちょっと本を読んでyoutubeの動画検索して、「ああ、これで『持続可能』な未来」は訪れないな、と感じました。

 

さらに言うと、日本は国際的に見ても幸福度が低いとか、子供の自己肯定感情が低いとか、男女の不平等が大きいとか、いろいろ言われていて、「ダメな国」と評されることが多くなっています。

で、そりゃそうなんだろうけど、それは多くの人の日常の感覚とそれほどずれていない気はするんだけど、それらの指標って、やっぱりヨーロッパやアメリカを基準に幸福や自己肯定感や男女平等を定義しているからでもあって、国連がやることなすこと全部正しいとは限らない、というのはコロナの問題一つとっても明らかなのです。

 

特に、男女平等って、どれだけの日本人(の女性)が望んでいるんですかね。

男性の稼ぎだけで家計が賄えるのなら、働きたくない、と思うっている女性は間違いなくいると思います。

同じパフォーマンスを発揮していたり、同じポテンシャルがあったりするにもかかわらず、女性であるというだけで、賃金や昇進やその他社会的な扱いに差があるのは、これは良くないと私も思います。

でも、それは女性だけじゃない。

 

私は氷河期のアラフォーですので、能力主義を喧伝しながらもあからさまに世代ごと/年齢ごとチャンスを制限してきた日本の労働市場は、「何がしたいのかわからない」という感想を禁じえません。

結局、誰かの既得権や雇用身分を守るために、他の誰かを切り捨てる、ということは公然と行われているわけで、そのシステムに囲い込まれている階級の人々がいるにもかかわらず、そこから零れ落ちた人にだけ、「自己責任」という言葉を使うのは全くフェアじゃないと思います。

 

男女平等を望むのであれば、結局、すべてのゲームをフラットにするということを望む、というのでなければならず、それはある種の既得権層が損をするということでもあるわけです。

しかし、世の中は、特に日本の世の中は、歴史や文化を引きずりながら様々な利害や思惑のバランスの上で動いていますので、文字通りにフラットにすると、逆に競争が激化して苦しくなるのかもしれません。

とにかく、人数分のまともな仕事がないのが最大の問題なのですから。

 

一見聞こえの言い、正しく見える言葉も、ほじくり返すと誰かが得をして誰かが損をするような話になっており、またその言葉を喧伝して流通させるマスコミにまともな責任感は感じられず、気分と雰囲気だけで虚しい言葉を振り回す、そんな言葉を根底から疑い続けることによってしか正気が保てないような世界で、しんどいなあ、と思いつつ、今日も虚しさを生きる月曜日です。