私は、しょうもないクソ零細企業に勤めておりまして、もともと業績が悪い会社がコロナでさらに業績悪化して、そろそろマジでケツに火がついている、そういう環境におります。

 

で、やる気もわかず、毎日にうんざりしているのですが、そもそも、私はこの仕事で成功したいとは思っていないのだ、ということが自分で分かってきました。

 

なぜ仕事が嫌いなのか。

 

仕事の内容がくだらないという理由も当然あります。

職場で出会う人が好きになれないという理由もあります。

でも、さらになぜ仕事の内容がくだらないと思うのか、職場で出会う人を好きになれないのかと問うと、それは、私が欲しがっているようには私のことを承認してくれないから、そして私はそういう人のことを「敵」と見なしているからなのです。

 

高校生のころから友人も恋人も一人もいなかった自分は、いつでもどこでも、常に自分の存在やパーソナリティを理解して欲しい・受け入れて欲しい・愛して欲しいと渇望しており、そうした欲求は職場という場違いなところでも常に発動してしまい、「この仕事を言われたとおりにこなしたところで、自分が満足するような承認は得られない」と思うから、仕事が嫌いなのです。で、そういう命令をする人、私のパーソナリティーや適性を理解せずに私を使おうとする人(上司や客)のことが、嫌いになるのです。

 

これは克服されていない幼児期の「抑うつポジション」そのものではないでしょうか。

ナルシシズムという病そのものではないでしょうか。

 

さらに、そのナルシシズムの殻に引きこもる自分を正当化するために、適応すべき現実を嫌っているのではないでしょうか。

アドラー風に言えば、「本心では変わりたくない(ありのままの自分を受け入れて欲しい)」と願っている、だから変われないのだ、と。

 

これは、多かれ少なかれ妥当すると思います。

この課題と向き合うのは結構苦しいです。

ここまでの自分の人生を否定することでもあり、「生まれてこなければよかった」という「反出生主義」の思考にからめとられる可能性が十分あります。

 

さらに言えば、確かに、現実は恐ろしく絶望的に頽廃しており、その腐臭を知覚できる自分の感受性や知性が、正当なもの(評価に値するもの)であるからこそ、ナルシシズムとアイデンティティへの執着を克服することを難しくしているのです。

 

「今」を生きているように見える、自分より若い人がいると、時々苦しくなってきます。

腐敗した世界でもがき続けながら、その中で自分自身が腐敗しつつあるということが自覚されるからです。

自分に何か可能性が残されているのだろうかと暗澹たる気持ちで自省しながら、その実いつもと変わらぬ怠惰な日曜日を過ごした、40歳の私です。