1988年。
私は小学2年生だった。
この年に発売されたのが、ドラクエ3。
発売日にカツアゲされた奴もいたとか。
調べてみたら、ドラクエは1986年に、FFは1987年に1作目が発売され、いずれもファミコン時代はおおよそ1年に1本ペースで、スーファミ時代は2年~3年に1本ペースで新作が作られている。
どちらが好きかは好みの問題として、FFとの対比は避けて通れない。
①スクリーンの色 DQ黒 FF青
②パーティーの移動 DQ4人1列 FF画面上は1人だけ
③魔法やアイテムの名前 DQ分かりづらい FF基本的に名前と効果がリンク
④戦闘画面 DQ敵だけ正面に FF敵味方横に陣取る・戦闘アクションも見られる
⑤長距離移動 DQルーラで移動 FF飛空艇などで移動
⑥セーブ DQ城(王様)のことろ限定 FFフィールド内どこでも
⑦蘇生 DQ教会のみ FF宿でOK
私はどういうわけか、FFはやったけどドラクエには全く興味がなく、友達がハマっているのを見ても別段やりたいと思わなかった。
たぶん、「画面の見た目が地味」というのが大きかったのだと思う。
ステータスや持ち物などの情報にしても、会話や戦闘状況の説明にしても、画面のほとんどの面積が真っ黒になり、そこに白い文字が浮かび上がっている、という、「白と黒(だけ)」の印象。爆発的な人気とは裏腹に、とにかく「地味」だったのである。
今のところの正直な感想として、FFの方があらゆる点で優れていると思う。
前述のウインドウの色の問題やセーブなどの基本的な遊びやすさの点でも、音楽・映像の芸術性の点でも、飛空艇や召喚魔法などの独創性の点でも、ラスボスの目的や描かれているストーリーの奥深さの点でも。
しかしゲームの歴史において、RPGを人気ジャンルの一つとして確立するには、ドラクエもFFも必要だったのは間違いない。
アクションやシューティングと違って、視聴覚的な刺激に直感的に反応してボタンを押す、という「ダイナミック(動態的)な」ゲームと異なり、文字を読み、ストーリーを追いかけ、魔法やアイテムの効果を理解しつつ、要求されているミッションに必要なレベルまでキャラを育成する、ということが必要な「スタティック(静態的)な」ゲームであるRPGは、特に小学生の子供にとっては敷居が高かったはずなのだ。
そこに風穴を開けたのがドラクエだ。
まず、キャラクターデザインを鳥山明が担当したのは大きい。
鳥山明作品は、1981年にアラレちゃん、1984年にドラゴンボールの連載が始まっている。
つまり、ドラクエの1作目が出た時点で、すでに鳥山明は「超」売れっ子漫画家だった。
ゲーム史における鳥山明の重要性はあまり語られていない気がするが、週刊少年ジャンプという、これまたファミコンと並んで、当時の男の子に圧倒的に支持されていたサブカルチャーの、さらにエース級の人気漫画を描いていた鳥山明だったからこそ、敷居の高いRPGにユーザーをスムーズに誘導することができた、ということは言えると思う。ジャンプの購読層とファミコンのユーザーとがほぼ一致していたというマーケティング不要の特殊な環境も大きかっただろう。
覚えるべき約束や整理すべき情報の量が事が多いという意味で、ゲームシステムは決してシンプルとは言えないのに、また当時の技術的問題で時々セーブデータが消失する事故が起こるという致命的欠陥があったのに、それでも子供(男の子)にとっては「勇者として仲間とともに魔王をやっつけるための冒険の旅に出る」という「ロールプレイング」は、刺激的な遊びとして受け入れられた。それは、前述のように、鳥山明がいざなったうえで、多少子供っぽい幼稚な話でも、男の子が好きそうなもの(剣・魔法・モンスター・お姫様・勇者・魔王etc…)をちりばめるという仕掛けによって達成されたものだったのだろう。その仕掛けはまるで、ハンバーグも、エビフライも、オムレツも、旗の立ったケチャップライスも、これまたケチャップ味のパスタも、シロップ漬けの真っ赤なサクランボまでついてる、王道の「お子様ランチ」のような体験なのではないか。
…、家族でファミレスに行ってお子様ランチ食ってた時の記憶がフラッシュバックしてしまった。
ドラクエにあってFFにはない良さ。それは豊かだった戦後の日本で子供時代を過ごした男の子の記憶だ。
ドラクエの成功がなければ、FFだって成功しなかっただろう。
ちょっと面倒な作業が多いんだけど、味わい深いので、クリアするまでやっていきます。