FF9を評価したときの記事にも書きましたが、FFシリーズのラスボスの基本思想は「反出生主義」です。
こんなに生がつらいなら、むなしいなら、そもそも生まれてくること自体を否定して、生の苦しみそのものを予防しよう、というものです。
すべてを無にするとは、すべての生が生じないようにする、ということなのです。
FF10の寺院とシーモアのたくらみも、基本的にその路線でした。
「異界送り」によって成仏(?)させられるのが普通の死に方だが、あまりにも執着が強いと死してなお永遠に生き続ける。
それはまず生の有限性の否定です。
そして、「死の螺旋」であるスピラにおいて次なる「シン(=何度でも復活して永遠に死をまき散らす存在)」となり、生という虚しい営みを完全に終わらせたい、という動機づけが、シーモア流&FF10流の、反出生主義なのでした。
この点でFFシリーズのラスボスは動機が一貫しています。
しかしこのアクの強い世界観で、過去作(過去9作!)とはまた趣の異なる切り口でそのバリエーションを落とし込んでいるところに、本作の魅力があるでしょう。
9までの歴史を知ったうえで10をやると、これはこれでものすごい作品であることが分かってきます。