リマスター版がPS4で、それぞれ1000円ちょっとでダウンロードできるということで、

FF8と9を買ってみた。

 

本当は、「7(R&オリジナル)をクリアしたから、次は8だな」ということだったのだが、

 

…残念!

…なし、ナシ、無し!

これはね、無理。

2時間やって投げてしまった。

 

ほんの少ししか触っていないのにストーリーのことに口を出すのも全く無粋だが、

それにしても酷かった。

 

キャラクターが皆幼稚すぎて、

またセリフ回しもダサすぎて、

その時点でストーリーに対する期待感がダウン。

言動の根底にあるのは果てしない自意識とナルシシズムという、

平成時代の高校生に媚びを売る、過剰で露骨、そして浅薄な人物設定。

最初に出会う女の子(セルフィ)が広末涼子そっくりって…

「置きに行く」とはこういうことか。

※どうでもいいことだが、私は広末涼子と同い年。

高校生のときはそりゃあ「なんてカワイイ子だ!」と思っていた。

だから悪いのは広末涼子ではない。

 

また、当時としては最高クオリティだったのだろうが、

グラフィックが、PS初号機の映像ではキツイものがある。

7のときはマップ移動は3頭身、ムービーでも5頭身ぐらいだったから猶更。

8頭身であのスペックだとこれまた逆に興ざめする。

 

天野画伯のあの画風をドット絵で再現するという無謀な、しかし飽くなき表現への情熱こそ、

FFシリーズの欠かせない「魂」だったのではないかと、逆説的に思えてしまう。

描かれたもの、表現されたものをハードの限界を超えてキャッチしていたのはそれこそプレイヤーの想像力だったわけで、

作り手と受け手のファンタジーの共鳴とも呼べる美しい出会い、

少なくとも1~7はそういう作品として成立していたはずだ。

 

さらにさらに、

致命的なのがとっつきにくい戦闘システム&意味不明なカードゲーム。

(あと何度読み返してもさっぱり腑に落ちないチュートリアル。)

伝統を破るというのはかくも難しいことであると、

これもまた体を張った実験だった。

キャラは置きに行ったのに、

システムは前衛的ともいえるほどのガチ攻めという…

 

レベルを上げた方が不利になる、魔法は敵から盗んだものを装備する、など

後にも先にも類を見ない独特な戦闘システムは、

検索すれば酷評コメントがわんさか出てくる。

 

カードゲームは9にも引き継がれたが、これもゲームのテンポ&バランスを悪くするだけで、必要なかった。

 

この辺りは発売当時の時代背景的な影響も感じさせる。

何しろ広末涼子はドコモの「ポケベル」のCMキャラクターだったのだから。

高速ネットもスマホもない、今から見れば石器時代。

7で大成功を収めたスクエニが、

ユーザーからの評価にびくびくする必要がなかった時代だったと言ってもよい。

 

大人気シリーズのナンバリング作品であったこと、

7が超大成功したこと、

革新的なもの、過去の作品を超えるものをユーザーが求めていること、

ハードの制約や多様化の問題もあったこと、

ユーザーの世代交代も起こり始めていたこと…

いろいろ難しい条件の中で作られていたことは想像できる。

だから、正統進化とは呼べなくとも、歴史の中では必要な過程だったのだと思う。

 

私の中では、8はシリーズ最低の駄作、ということになり、

その魂を弔うために、9をプレイすることにした。

 

つづく。