ゲームに限らず、「脚本」には様々な「都合」が織り込まれているわけで、それらの都合を解決するような登場人物や舞台の関係性や細かな設定があります。

 

「ラスボス・セフィロス」や「ヒロイン・ティファ」は、ゲームとしての「マーケティングの都合」が生み出したキャラです。

ですから、彼らが人気者なのは当然です。

(海外のゲームショウでプロモーションが上映されたときは、お客さんが歓声を上げるほどの人気だったようです。youtubeより。)

 

ゲームとしてなら、それがなければ始まりませんから、そうした制約にも応えなければならないのはRPGの脚本の特有の難しさなのかもしれません。

純粋にシナリオ(エアリスの物語)だけを追うなら、以下の人物や設定は基本的に不要です。

 

①ミッドガル脱出後に出会う味方キャラ(ケット・シー除く)

ユフィ…エアリス亡き後の女性キャラの不足を補う&エキゾチックなアジア要素を入れる&ケット・シー以外のユーモア要素担当

※ウータイという「国家」がなぜ神羅という「企業」と戦争をしていたのかも謎。この辺りは、マップの広さの問題もあり、この世界における「国家」の概念の揺れ、あるいは適当さが否めない。

 

シド…広大なマップを移動する手段が必要&FFの伝統

※元神羅の宇宙飛行士という設定。ミッドガル脱出で世界は広くなったはずなのに、主要なキャラがほぼ例外なく神羅の元関係者という「狭さ」は気になる。そして、民間パイロットなのにソルジャー並みに戦える。それは「ゲーム」だから気にしない、と。

 

ヴィンセント…もはや科学者なのか元タークスなのか。見た目にもそれらの名残はほとんどなく、セリフはほぼひとりごとに近い上に、鍵をかけた部屋の棺の中でマント+ハットという格好のまま何十年も眠っていたという謎の「ヴァンパイア」設定。もはやヴィジュアルでしか個性を発揮できず、ストーリー上は宝条とルクレツィアとセフィロスについての目撃証言をする、という「説明要員」。

 

②やたらと全員を関係者にしたがる無茶な設定

「壮大なストーリー」のはずが「小さな世間」に。結局は全員が(元)神羅の関係者として回収されてしまう規模感といい、やはりミッドガルまででひととおりの話は完結している。

 

エアリスの初恋相手、ザックスの親友がクラウド。

いくらなんでも世界が狭すぎる。そんな縁結びがなぜ必要だったのか。

 

おまけにガスト博士とイファルナの娘がエアリス。つまりエアリスは神羅の科学者の娘という設定。

ここもかなり違和感を覚える。古代種の末裔は神羅とは独立しているべきではなかったのか。

結果的にエアリスは父親が発見してしまったジェノバによって殺されたようなもの。

 

クラウドやセフィロス、ザックスら、ソルジャーたちの身をよじるような懊悩も、ジェノバ細胞と神羅(宝条)の欲望が元凶なわけで、一番悪い奴は誰か、という軸が物語の本編(対セフィロス)とずれていく印象だ。

 

さらには、ラスボス・セフィロスは自身が宝条とルクレツィアという神羅の科学者同士の息子であることを知らず、また自分が古代種であるという認識が誤解であることも自覚できずに、ピエロのまま死んでいく哀れなナルシストになってしまう。どうしても、セフィロスがメテオを求める動機が「やけくそ」なため、打倒すべきラスボスとしての迫力に欠ける。

 

③派生作品で描かれる「それ以前」や「その後」

前述の通り、私としてはあくまでも「ゲーム」として楽しみたい、それがFF7です。

リメイクの掘り下げ方は気に入りました。原作と違いがあっても、それはゲームとしてとらえて、単純に楽しみたいと思います。

派生作品にまで思い入れがある人(クラウドとザックスのエピソードはかなり「重さ」がありますね)からしたら、ミッドガルまでで分作の第一弾が終わり、本編が深まらないままサブクエストやコルネオの話で何時間も引き延ばされたのは不満だったかもしれません。

低評価のレビューはたいていそんな論調で、視点がそこにあれば、低評価になるのは納得です。

 

しかし、「エアリスの思いが星を守り、500年後も世界は存続している」という「ハッピーエンド」で終わりにしていいと思います。

 

「スター・ウォーズ」のように派生エピソードを掘り下げるのも悪くないのかもしれませんが、「ダイ・ハード」や「ターミネーター」のように、続編(特に3作目以降)が初期の設定を大きく逸脱しだすと、せっかくの名作が台無しになってしまいます。

そこは、「ファンタジー」のまま、プレイヤーの自由な空想にゆだねて深追いしない、という方が、潔くて私は好きです。

 

リメイク2が出るのは相当先のようで、DLCがPS5のみで発売されるというのがまた物議をかもしていますが、そうしたプラットフォームの独占とゲームもまた、切っても切り離せない関係にあるわけで、この種のエンタメを消費し、楽しむには、ユーザーもそれなりに楽しみ方を心得ている必要があるのだと思います。