リメイクに感動してからというもの、FF7にドはまりしてしまい、原作をダウンロードで購入し、しばらく遊んでいました。

 

ポリゴンCGを懐かしく眺めながら思い出したのですが、

たぶん、私がかつて高校生の時に遊んだのは、レッドⅩⅢの故郷、コスモキャニオンまでです。

ストーリーが分かりづらくて、途中で投げ出したんだと思います。

当時は結局クリアまで至らなかったのですが、20年以上たった今、改めてクリアしました。

なかなか感慨深いものがあります。

 

独創的なシナリオは確かに画期的、また、FFのナンバリング作品がPS(当時の“次世代”ゲーム機)で出たのも大きかったですし、今思えば、ムービーもかなりのボリュームで、ハードとCGの技術の限界がなければ、映画を作りたかったのだと言われても納得できる内容でした。

「ドラクエ」が、どこまで行っても「勇者と仲間たち&剣と魔法&魔王とドラゴン&お城と洞窟&王様とお姫様 with鳥山明」でしかありえないのに対し、近未来的機械文明の世界を舞台に登場人物それぞれの思いが交錯する、壮大なストーリー。単なる善と悪の対立ではない、深読みしがいのある物語ですね。

 

派生作品や映画があるようですが、正直、こちらまで手を出す気にはならないです。

 

私としては、これは、やっぱり「ゲーム」なんですよ。

お約束として、やっぱり「剣と魔法」は基本の伝統として期待されていますから、例えば召喚魔法で出てくる神や巨獣は何者なのか、といったツッコミは、「Don't think. Feel !」ということで処理されるわけです。

マッチョな野郎どもが剣や銃を使って戦っているのに、女子が素手で応戦するという意味不明さも、戦闘プレイ時のキャラの個性を楽しむ、という目的があればこそ正当化できるのです。

それでも、「マテリア」や「モンスター」が「ライフストリーム(魔晄)」のエネルギーによって生み出される、という理屈は、無理なくファンタジーと文明社会を共存させており、そこまで荒唐無稽で良いと開き直っているわけではないところも、ニクいじゃないですか。

マテリアを武器や防具に装備することによってキャラの能力をカスタマイズできる、というシステムも斬新でプレイヤーを飽きさせませんし、「マテリアを育てる」という楽しみも生まれます。

本当に、よくできた「ゲーム」。

もちろんシナリオは決定的に重要なポジションを占めてはいますが、最終的には「ゲームとして面白いのかどうか」が最重要なわけで、そこを深追いしすぎた派生作品は、せっかくのファンタジー(空想)を妙に堅苦しいものにしてしまったように感じます。

 

※私は「アドベントチルドレン」は見ていないのですが、ティファやクラウドが罪悪感に苦しむ、という設定があるようですね。

それはね、つまんないの。

ティファは、「ヒロイン」なのか、ということになると、違う、と私は思います。

クラウドとくっつくかとか、そういう意味ではないですよ。

 

ティファには、「キャラクターとしての主体性」がなく、「戦う動機」ももほぼ見当たらないのです。

そもそも、「両親を亡くし自身も殺されかけた10代の格闘美少女が、スラムの飲み屋でバーテン兼調理師として働きつつ、テロ組織の一員として活動している」って、もう、「ゲームだからOK」の荒唐無稽さです。

この時点で、ティファは最初からストーリーの構想にあったというより、ストーリーの進行とマーケティング的な意味での女性としての役割の必要性(当時はプレイヤーの圧倒的多数が10代~20代の男性だったはず)から作られた「ご都合キャラ」だったことが分かります。

 

他のキャラとの関わり方にしても、彼女は常に「男性が期待する女性」としての役割を担っています。

(男性客のために)料理を作ること、マリンのような母親のいない幼児の世話をすること、精神崩壊したクラウドの介護をすること、自我を見失ったクラウドのカウンセリングをすること、総じて、ケア全般を一手に引き受けています。

そして、黒髪のロングヘア-、巨乳が強調されるタンクトップに、パンツが見えそうなぐらい短いスカート(?)、白と黒だけのスポーティな出で立ちで、エアリスの死後は女性キャラとしての「責任(?)」を一手に引き受けます。

こういうわけですから、当然(?)にも、「巨乳」という設定になります。

 

そもそもなぜティファは戦っているのでしょう。

最後の戦いの直前、「行くところがない」というセリフが出てきます。

家族も失ったティファにはもはや行くところはなく、理由がなくてもクラウドやバレットの戦いに付き合うしかなくなっているのです。

こんな虚しい設定で、「ヒロイン」はないでしょう。

 

余談ですが、海外のプレイヤーには熱烈に支持されているようです。

女性ファンも多いらしい。

それは、要するに「マーケティングの成功」です。

セクシーで、健気で、優しくて、強い。

そんな格闘美女は「ユーザーの理想」なのです。

だから、映画に出て来ちゃダメです。興ざめします。

あくまでも、ゲームのキャラクターだから成立するんです。

ある意味、究極のアイドル(偶像)と言ってもいいかもしれません。

 

作品の中で「戦う理由」を持っているのは基本エアリスだけです。

だからこの物語は、エアリスの物語です。

エアリス 対 神羅。

古代種 対 ジェノバ。

セフィロスですら、自分が古代種であると勘違いしたまま、本当は宝条とルクレツィアの子供であることも知らずにジェノバのリユニオンやメテオを待望している滑稽な被害者であり、やけくそになって小さな村の凡夫を皆殺しにするところからメテオで全人類のせん滅をはかるところまで、徹底的に「動機がない」存在なのです。

神羅とジェノバに翻弄され続けて最後には神にも人間にもなれずにクラウドのリミットで八つ裂きの血まみれになって死ぬセフィロス。

ストーリーをよくよく読み込んでみると、実は「ラスボス」という立ち位置の存在がゲームとして必要だから、という「都合」により用意された存在であったことが理解できます。

 

長くなったので、つづく。