いや~。
すげえゲームに出会ってしまった。
ついに、クリアしました。
正直、もうこのレベルのゲームは二度とお目にかかれないのではないかと思います。
人生で経験した最高のゲームであり、最高のエンターテインメントであり、最高の芸術のうちの一つだったと言えます。
嬉しいことに、現代では感動と興奮を分かち合おうとしてくれる人たちが世界中にいて、youtubeにたくさんの実況動画があります。
自分がグッときたシーンで号泣している海外のyoutuberとか見て、また感動。
現代では、命がけで仲間と戦う機会なんて、ないんです。
戦争?やったら最後ですね。人類終わります。
じゃあ、代わりに仕事?
ほとんどの仕事は「ブルシットジョブ」です。
仲間とともに命or人生をかけて挑む価値のある仕事なんて、どれだけあるんでしょうか。
共に戦える仲間がいる人は、幸運ですが、
もはや現実は、倫理を貫徹するに値しない場所であるということに絶望している人々は、
とにかく「孤独」なんです。
仲間となら、戦える。強くなれる。
誰もが本当は、そういう仲間が欲しくて仕方ないんだと思います。
そして、ヒーローになりたい。
そういう人々の、ある種実存的な渇望に応える「ファンタジー」こそが、「ゲーム」なんだと思います。
ゲームの歴史を創造し、けん引し続けてきたスクエニが、一貫して世に提供し続けてきた「最後のファンタジー」。
FFなくしてゲームなし、それが誇張でも過大評価でもなく、まさにFFこそがゲームそのものである、
それを心の底から楽しむことができるのは、「ファミコン」以来、日本で40年ゲーマーをやっている私の特権ですね。
さらにスクエニがやってのけた「離れ業」。
それは、「分作」であるという点。
いままで、そんな前提のゲームなんてあった?
賛否いろいろあるようですが、私は、「アリ」だと思います。
ここにはPS5を売ろうというソニーの思惑とも絡みがあるような気がしますが…
1作目に満足した人なら、2作目絶対やりたいでしょ。
これはズルいな~。
でも、ストーリーを見る限り、それ以外にも理由がありそうです。
「リメイク」で、原作へのオマージュを表現したのはチャプター17まででおしまいで、
「録画禁止」の最終章で描かれていたのは、「運命が書き換えられた」という内容でした。
「運命の番人」であるフィーラーを倒してしまったことでザックスやビッグスも生き残りました。
本編の中でも、エアリスが「運命は変えられる」という意味のことを話すシーンが2回あったと思います。
また、最後の戦いに挑む際、「運命の分かれ道」「自由」という言葉も出てきます。
エンディングでも、「the unknown journy will continue」という言葉でスタッフロールへと移行します。
これらの内容を考えると、これ以降は原作と異なるストーリー(運命)になりそうだと言えます。
スクエニがFF8からRPGを「CG映画」にしたとき、賛否両論、というか、昔のCG技術ではちょっと無理があって、私なんかはそれがきっかけでFF8以降をプレイしなくなりました。
しかし、それから20年以上が経過し、CG技術が描けないものはほとんどないと言っていいぐらい進化した現在にあって、その進化の中枢でRPGを作り続けてきたスクエニが、分岐点になったFF7のリメイク版を映画の製作と同じような手法で分作化したというのは、本当にスクエニにしかできない、すさまじい「離れ業」だと思います。
20年以上前にこのような未来計画を立てていたのだとすれば、その先進性・先見性は、ちょっと想像を絶します。
私のように一部離れていくユーザーがいることは織り込み済みで、すでに不動の人気を勝ち取っていたブランドコンテンツに新しい要素を吹き込み続けたその不屈のチャレンジ精神があってこそ、アラフォーとなったユーザーが再び戻ってきて新たな感動を得る、偉大なる「神ゲー」が生まれたのだと思います。
FF7リメイク、途轍もない体験だった。
たぶん続編のために、PS5を買わされることになるであろう。…ソニーめ。