今日は、祖母のお葬式でした。

享年97歳。

大正生まれの、若いころにものすごくお金で苦労した、

苦難の多い人生を負けん気だけで1世紀近く走破した日本の女性の、大往生でした。

 

祖母を愛する気持ちは、今あるのかと念を押されると、分かりません。

最後の10年は、信じられないほど(中年の私の安月給を超えるぐらいの)お金が毎月かかった、

という意味では、理不尽を感じないはずはありませんでした。

 

また、その時期には、体だけでなく頭脳の状態もどんどん悪くなっていき、孫の私を知覚・認識できていたのかわからないような状態でした。

 

しかしながら、仮に儒教文化圏でなかったとしても、「おばあちゃん」=「高齢の女性直系親族」というのは、存在そのものが子供に安心感と絶対的な肯定感を与えます。

ですから一方でそういう意味では、彼女と過ごした時間の記憶は、間違いなく私の存在のかけがえのない一部分になっています。

 

彼女の往生を支えた叔父もまた、立派だったと思います。

今日は叔父の話に耳を傾けることによって、祖母と叔父とに報いようとした1日でした。

 

こういう日は、人生においてそう多くあることではないでしょう。

ですから、無駄にお金がかかった気はしますが、「お葬式」という名の儀式は、やっぱり必要なものなのだろうなあ、とかみしめつつ、ちょっと高めのウイスキーを飲んで、深夜にこの文章を書いているのでした。

 

おやすみなさい。