私は、あと2週間で40歳になります。

最近思うのです。

 

この世で一番私を愛してくれた人は、間違いなく私の母なのですが、今日、私がとても「生きづらい」と感じながら人生を歩んでいる、その原因の一つは、母が植え付けた「まじめさ」であるということを。

 

私の母は、きわめてまじめで、良き母であろうと努力してくれました。

 

母自身も、「こういう親でなければならない」という「イラショナルビリーフ」にがんじがらめになり、必死に努力を重ねてその価値を内面化し、自分の子供に「べきである」「ねばならない」という行動原理を植え付けていったのでした。

 

息子の私は、母をがっかりさせたり、心配させたり、悲しませたりすることは「悪」であり、自分は母にとっての理想の息子であるべきなのだ、と思うようになりました。

 

それは、「愛」と呼んでよいのでしょうか?

 

確かに、私は、母を愛しました。

 

母が死んでしまったら、自分も生きている意味がない、と思うほど、愛していました。

 

母も、私も、間違ってはいませんでした。

 

しかし、今、私の「生きづらさ」の根本原因の一つは、母を愛したことを原因として生じている、という「事実」に気づき始めています。

 

しかし、私は母を赦すことができます。

今でも愛しているから。

そして、いつも私を見守り、包んでくれた母もまた、弱く愚かな人であったということ、しかし、そんな弱くて愚かな人間を除いて他に愛すべき人などいないということ、そのことをかみしめつつ、自分は自分の人生を生きるべきであるということに、40歳になる2週間前に気が付いたのでした。

 

もしかすると、「親が自分に植え付けたもの」を自覚し、そしてそれを「赦す」ことによって、ナルシシズム的な抑うつポジションが克服されるのかもしれません。

 

親を愛した記憶を持つ皆さん、そして、「生きづらい」と感じている皆さん、皆さんは、親を赦していますか。