いま、世の中が混沌として、多くの人が構造的に孤立し、「生きづらい」と感じる人が大量に出現しているような世の中にあって、その言語化できていない不全感に名前を付けたり、原因を説明したりする言説には、一定の需要があると同時に、それによって問題を解決するための議論を深めることができるという点で、HSPという言葉の流通はそれなりに意義があったといえます。
しかし、私はここで同時に違和感も覚えます。
そもそも「5人に1人」って、相当多くないですか?
その程度の感受性を「Highly Sensitive」と表現するのが妥当でしょうか?
マイノリティ認定の水位が低すぎますよね。
つまり、この言葉を流通させるには、「50人に1人」じゃダメなんです。
現実の社会に鬱屈した不満を持っており、とにかく社会生活のいたるところでストレスを感じている人々を捉まえて、実演販売を始める、それには、「5人に1人」というマーケティングが最初にあって、よほど鈍感でなければ多かれ少なかれ誰でも当てはまりそうなチェック項目で「ほら、あなたも!」ということで「認定」し、本を買わせるのです。
本人に「我こそはHSPである」という自己認識を持たせれば、あとはその人たち向けの市場に引き込むこともできるわけで、しばらく商売ができます。これは、見方を変えれば、心理学の仮面をかぶったインチキ自己啓発です。
このブログでは何度も指摘していますが、現代の社会は狂気の沙汰です。こんな世の中でストレスを感じない方が異常です。だから自分の苦しみの原因がどこにあるのかを考える際に、「間違っているのは自分ではなく世界の方だ」という認識自体に問題はありません。
自分の性格の特徴を理解することもまた、「いかにしてこの狂った社会でまともに生きられるのか」を考える際には重要です。
しかし、この狂気の社会は、そういう人々の魂が求める救済すら商売のタネにするほど、世知辛くしたたかです。
先日、芸能人のベッ●ーまでもが「私もHSPです!」と言っている記事を読んで、これはいかんな、と思ったのです。
豊かな感受性によってこの鈍感な狂気の世界に傷つけられている、という自己イメージが「便利」なので、意識的にせよ無意識的にせよ、HSPであると認定されたがってしまう人が生まれてしまう。特に芸能人は自分のキャラクターやブランドのイメージを売っているようなものですから、人によってはこれを利用するでしょう。この言葉を発明した人が本当に学者なら、この事態にちゃんと応答してもらいたいものです。