「チェリーピッキング」という言葉があります。

自分の考えを補完するような内容の話ばかりを「つまみ食い」して、ゆがんだ事実認識をすることです。

世界は終わりだ、と思う人は、チェリーピッカーなのでしょうか。

 

悲観的なことばかり語る人は、しばしばチェリーピッカーです。

根底には、「変わりたくない」という動機が存在していると思います。

意識的にせよ、無意識的にせよ、現実と自分自身とにうんざりしているとき、悲観的な情報ばかりを選んでしまうのだと思います。

 

しかし、今日の世界が破滅に近付いているという認識は、決して悲観論者のつまみ食いではありません。

末法思想が昔からある、ということを指摘しましたが、現代版末法思想には、もっと強力な論拠があります。

・環境問題と大規模災害

・生態系の破壊&人口爆発と食糧危機

・経済格差と自己規律化による人々の孤立化

・先進各国の「超」少子高齢化(当然日本がその筆頭)

・エネルギー資源の枯渇

 

今のままでは、これまで通りの生活や生産活動は維持できないし、地球ももたない、ということで、「持続可能な社会:sastainable society」とか、「SDGs:Sastainable Debelopment Goals」などという言葉が流行っています。

こんなオシャレな言葉遣いで、末法の世を表現しようとしても、うまくいかないと思います。

原発でもコロナでもそうですが、人間にはコントロールできないことをコントロールしようとしていることから起こる悲劇、それによって人類は破滅するかもしれないという予感、それこそが現代版末法思想であり、己の分際を知り、人間の可謬性を自覚し、謙抑と節制に率先して取り組むような、多くの「まともな人」に共有される感覚だと思います。