「人生は冥土までの暇つぶしである」というようなことを語った書物は結構ありますね。
主に禅のお坊さんが著者だったりします。
さて、私はこの考え方が結構好きなのですが、人生に目的や目標や夢なんて、必要なんですかね。
そんな、キラキラした青春は、ある種の勘違いをしたままでないと、成立しません。
まず、世の中のルールが、デタラメです。
そのルールを作ったり、運用したりする主導権を持っている権力者も、徳のある人がほとんど見当たりません。
現在の日本は二度目の敗戦を経験したといっても過言ではなく、もう一度焼け野原からリスタートするぐらいの覚悟がないと、みんなが不幸になるシステムがいつまでたっても終わりません。
本当に、腐った世の中です。
そんな腐った世の中でまともさを保ちつつ、自分自身がハッピーに生きる道を模索することは、本当に疲れるし、報われないし、つらいです。
そのつらさに耐え続けていると、やがて、虚しくなってきます。
だからたいていの人は、途中で考えるのをやめて、みんなと同じように魂を小さくして、意味があるとは思えない仕事を忙しくこなして、少ないなあ、もっと欲しいなあ、と思いながら給与明細を眺め、自分の感受性が違和や不本意を訴えても「他人に命令されて働く」方が楽なので、精神の感度を一時的にでも麻痺させて、今日をやり過ごしています。
この、非人間的な生き方をほとんど全員に強要するような社会は、そろそろ限界を迎えているように感じますし、そのことに気が付いている人は意外に多いと思いますが、それでも、戦争が止められなかったように、日本人は常に、破滅に向かって進んでいきます。
しかし、現にこの世に生を受け、今日という日を生きざるを得ない私たちは、虚しさを心に抱いたまま、生きていかざるを得ません。
そのとき、冒頭の「人生は冥土までの暇つぶしである」という考えは、役に立つと思います。
ストレスマネジメントの文脈で「コーピング」という手法が取りざたされることがありますよね。
気晴らしになるような些細なことをたくさんやって、精神を安定させる、という「技術」。
あれと同じです。虚しい、という状態は、「非本来的」な状態のはずですから、ある種のストレスです。
それを、コーピングによって紛らわせて、本来の自己を見失わないようにする、ということは、ある種の技術だと思います。
そして、「人生は冥土までの暇つぶしである」という表現を、虚しさをうまくコントロールして、本来の自己を見失わないように努める、その営為こそが人生だ、と翻訳できなくもないと思うのです。