皆さん、自立してますか。
私、最近気づいたんです。
自立することを目標にして生きる、という当たり前のことを、40年間もずっとないがしろにしてきたことを。
それと、もう一つ。
自立とは、誰にも迷惑をかけずに生きることでは全くない、と。
そのことに気づいていなかったから、自分は自立できていないのだ、と。
自己責任とは、ルサンチマンの別名です。
ほとんどのことは、「俺の生じゃない」のです。
しかし、それは人のせいにする、ということとも違います。
つまり、自分を幸せにするために努力や苦労を引き受けてくれる人は、自分しかいない、ということ。
途中までは、親が手をつないで一緒にやってくれますが、青年期を過ぎれば、もう、親でも力になれなくなります。
自分のために生きる。
それは、利己でも利他でもなく、みんな原理的にそうなのです。
前述の通り、私は学校秀才のお利口ちゃんでしたので、「システム」に乗っかっていました。
就職氷河期によってそのシステムからはじき出されてみると、何をしていいのかわからなくなり、めちゃくちゃな迷走を何年も続けました。
15歳から30歳ぐらいまでは「迷走期」と言っていいと思います。
それは、お利口ちゃんを続けていれば、自分はいつでも分け前を授かることができるに違いなく、「自分を幸せにするために努力する」ということを意識しなくても、勝手に誰かが自分を幸せにしてくれるはずだ、という、ぞっとするほどの見当違いを、人生最初の20年間ぐらい信じて(信じ込まされて)生きてしまったために訪れた悲劇であるといえます。
私の例は極端ですが、しかし典型的で象徴的なので、その意味で、代表的です。
現代の学校教育は、子供たちを、とにかく「システム」に結び付けようとしています。
しかし、実は「システム」は、大企業の正社員と公務員、それと、たまさか運よく宝くじが当たったような人たち(成功した起業家・スポーツ選手・ミュージシャン・芸能人・ユーチューバーなど)だけのために作られており、凡百の普通の人のことなど「顔の見えないどうでもいい奴ら」のことなど、意に介さずに動いているのです。
だから、「システム」からあぶれた人たちは、途方にくれます。
そして、「システム」を運営する主導権を握っている人々から、「自立せよ!自己責任だ!!」と「意地悪」を浴びせられ、あろうことか自分自身でも、「自分が幸せになれないのは自分が無能で、怠惰であるからだ」などと自分自身を責め、だんだん精神がすり減っていって、鬱になったりするのです。
人間は、支え合って生きるべきなのです。
誰もが、足りないところがあり、誰もが、できないことがあり、それを補い合う関係を貨幣が媒介し、循環してこそ、健全な経済であるといえます。そういう健全な経済を前提としてこそ、人は自立できるのです。
今のグローバル資本主義は、全く、トチ狂った方向性で発達しており、不健全極まりなく、多くの人を不幸にしています。
それはますます暴力性を増しながら加速しており、人類を破滅へと誘導しているかのように思えます。
私は15歳のころからそれに我慢ができなくなっていますので(だから「システム」から外れてしまったのですが)、それゆえに、「誰にも迷惑をかけない」という意味での自立は出来ていないのですが、それは近代システムがでっち上げたフィクションであるということにも気が付いているので、「自分を幸せにするために自分の人生を生きる」ということが、40年間できていなかったことを反省し、これからの人生を、そのことを目標にして、「自立した人間」として生き、死んでいけるよう、日々精進したいと思います。
しかし、こんな大事なことを、なぜ誰も教えてくれなかったのでしょうか?