リスクがあったり成功の保証がなかったりすることにも、悔いを残さないようにチャレンジするべきだ、という主張の根拠として、

「一度きりの人生なのだから」というフレーズを使うことがよくありますね。

これ、聞いたことはあるけど、自分が使ったことはない、という人も多いのではないでしょうか。(私はないです。)

 

「人生は一度きり」。

まあ、何の変哲もない、ごく当たり前のことのはずですね。

しかし、そのことの意味を、時々思い出す程度ではなく、常にあらゆる物事の判断の基礎に置く、というレベルで意識している人は、どれぐらいいるのでしょうか。

 

「人生は一度きり」ということを、私が自分の粗末な頭でしつこく考えてみると、以下のようになります。

 

まず、地球は、46億年前に誕生したらしい。

表面の温度が4000度(コロナは100万度)の太陽という天体から1億5千万㎞離れたところに、24時間で1回自転する直径1万2千㎞程度の惑星を設置すると、どういうわけか、それまで宇宙空間を漂っていた元素が、複雑に結びついて生命体になる。

生命体は自分の体を構成している元素を循環させるとともに、活動に必要なエネルギーを得るために、呼吸して、他の生き物を捕食する。

また、植物は他の生き物は食べないけれども、光合成によって炭素を循環させ、地球全体の生態系を維持する働きをしている。

 

生物学者の中には、「死ぬ」ということは生物が進化の過程で獲得した能力である、と説明している人もいる。

原始的な単細胞生物は、もし人工的にその生物が生きていくのに最適な環境が確保されていれば、永遠に生き続けることができるものもいるらしい。

多細胞生物は、複雑な機能を獲得したのと交換で、一定の時間がたつと老いて、病を得て、死ぬ。

だからこそ、生物は死なないためにはどうすればいいかを常に考えるし、あるいは死なないですんだ個体だけが子孫を残せば、より種の保存にとって有利になる。

「死にたくない」というプログラムこそが、環境に適応するにしても、遺伝子を残すにしても、常にすべての生物の行動原理になっているはずで、その結果、自然淘汰と適者生存を繰り返しながら生物は多様化し、進化し続けてきた。

 

さて、何の話だったか。

「人生は一度きり」という話だった。

続きがまだある。

 

人類は今、あらゆる生物の進化の頂点で生きている。

目を獲得したこと、知性・特に言語を持ったこと、記録したり、記憶したり、それを仲間に伝達したりすることができること、そのことによって、自分自身という「宇宙」を「経験」できる存在になった。

かつては宇宙空間を漂っていた元素、その元素こそが今自分の肉体を構成している、ということを自覚しつつ、生命としての自己を「経験」しているのだ。

 

しかし進化の頂点に達したところで、死すべき有限の存在であることに変わりはない。

人類の歴史には、飢餓や、伝染病や、貧困や、差別や、弾圧や、圧制や、戦争や、自然災害や、その他諸々、さまざまな悲劇が何度も訪れており、そのこともまた、我々は資料を見たり実際に体験したりして知っている。

今生きているすべての人は、何百年も、何千年もの長きにわたって、そうした悲劇を乗り越え続けてきた、途轍もなくしぶとくて、運のいい、スーパーエリート達である、と断定して間違いない。それこそ、生まれてきたこと自体が「奇跡」なのだ。

 

すべての人生は、奇跡である。

しかし、その奇跡を喜び合う、というほど、麗しい世界に我々は生きていない。

今、こうして、地球に生物が誕生し、進化してヒトになり、あらゆる災禍を潜り抜けて、ここに、貴方がいて、私がいる。

それは、後にも先にも、二度と同じことが繰り返されることのない、偶然と必然のあざなえる縄であり、そこに神秘的な意思の存在を感じずにはいられない。

その意思に「神」という名をつけて、恐れ、敬っていた時代は、もはや過去のものなのだろうか。

 

それでも、「人生は一度きり」と語るとき、それは、未来永劫、この宇宙に「一度きり」なのであり、本当に1回限りの、かけがえのないものなのだ。

果たして、自分の人生や、他の人の人生を、そういう視点から理解し、大切にしている人はどれほどいるだろう。

 

ところが、そういう視点を常に持つのは難しい。

なぜなら、人間には、「他人と比べる」という行動原理もまた、インストールされているからだ。

さらに、現代社会には、嫌でも自分の人生と他人の人生を比較させるような情報が洪水のように押し寄せてくるからだ。

 

同じ仕事をして自分だけ給料が低かったら、不当に扱われた、と思うだろう。

自分が他の人より優れていることを証明しようとしたり、劣っていることを隠そうとしたりする。

世の中や自他の人生を色眼鏡で眺めているとき、「一度きり」という視点は失われている。

 

計画を立てて、合理的に人生を生きようとすること、それを目標として社会を設計する。

そうすると、誰の人生も同じようなものになっていくだろう。

学校に行って、組織にやとわれて、意味のないクソ仕事(ブルシットジョブ)を延々とこなす日常に埋没して、それでも「これで良かったんだ」「人生なんてこんなものさ」と自分を納得させながら。

 

しかし、そもそも人生の価値に序列などあるわけがない。

1000年に一人の大天才の人生も、名もなき凡夫の人生も、どちらも宇宙にただ一つ、1回限りしか存在しない。

そして、その1回を経験しているのが、いま、ここにいる、貴方であり、私なのだ。

 

みなさん、自分の親兄弟の人生を「一度きり」のものとしてとらえ直してみてください。

そして、やがて確実に彼らと死別する日が来る(もう来た人もいるかも)ことを想像してください。

そのかけがえのなさを思う時、ちょっと、涙が出そうになりませんか。

そして貴方もまた、宇宙に一度きりの命なのです。

自分を大切に。

 

★★

私は今年で40歳になるのですが、自分は人間として大切なことをほとんどなにも理解していないような気がしていて、「当たり前のこと」について、これから一つひとつ真剣に考えていこうと思っています。

今日は、ここまで。