私は大の野球ファンでして、プロ野球中継が見られる日とそうでない日とで明確に幸福感に差が出ます。

やっぱり、野球とサッカーは桁違いのエンターテインメントであり、プロとしてその舞台で活躍する選手たちは、掛け値なしのヒーローです。

カッコよすぎます。

イマドキは小学生のなりたい職業No1はユーチューバーだそうですが、少年たちにはあんな好き勝手しているだけ(に見える)運頼みの道楽者のクソガキ(失礼!でも「運頼み」には違いありません)ではなく、「ヒーローになりたい!」と思ってほしいものです。

 

応援しているチームは、オレンジ色の東京のチームと強すぎる鷹のマークのチーム以外全部です。

強さの源泉に圧倒的な資金力があるチームは、放っておいても勝つので、憎たらしいだけで、応援する気なりません。

それ以外のチームはそれぞれに「チーム事情」というものがあり、なんとかやりくりしながら頑張っているので、そこが見どころになり、魅力になります。

縦じまの黄色いチームなんて、あろうことか開幕3連戦でオレンジのチーム相手にスイープを食らうという、応援しがいのあるドラマを披露してくれて、これからが楽しみです。

 

さて、そのプロ野球が開幕し、「やっぱり俺は野球が好きだなあ。」としみじみ感じている今日この頃なのですが、一つ気が付いたことがあります。それは、「観客の有無にかかわらず、基本的に面白い」ということです。

 

で、確かにちょっと物足りない感じはするのだけれども、その物足りなさはどこから来るのかというと、当然ながら、「歓声」ですよね。

それはつまり、「同じものを見ている他者のリアルタイムな反応」だということです。

 

よく、テレビのコント番組やバラエティーショーに、「あ~」とか「わ~!」とか「わはは」とかいう「サクラ」が入りますよね。

ここで笑ったり泣いたりしてください、的な。

または、スタジオにお客さんが来ていたり。

歌番組だって、例えばミュージックステーションや紅白歌合戦は、お客さんありで撮影するわけです。

あれは、やっぱり、必要なのだな、と。

 

今回の文脈に引き付けて考えるなら、プロ野球をはじめとするスポーツのエンターテインメント性を支えている要素の一つは、「同じものを見ている他者の反応」なのだと思うわけです。

それの有無によって興奮度が変わるのだとすれば、人間とは、自分とは、いかなる生き物であるか、いろいろ考えるきっかけにはなると思います。