私の精神は生まれながらにして様々な病に罹患しているのですが、そのうちの一つが「天邪鬼」です。

 

皆が同じこと言っていると、一人だけ違うことが言いたくなる。

文脈とか、「空気」とか、そういうものを無視して、一人だけ違うことがしたくなるのです。

 

私の祖父は、従軍して満州まで連れていかれたのですが、司令官が「突撃~~!!」と命令した際に、明後日の方向に走り出し、どさくさに紛れて茂みの陰に隠れ、銃声が鳴りやむまで隠れて、無事に生還したそうです。もう30年以上前に他界した人なので、今ならもっと詳しくインタビューしたいのですが、しかしながら、私はこの祖父を尊敬しています。これこそ、天邪鬼の生存戦略であり、同時に、人類が「種」として生存し続けるために必要不可欠な、「最後まで人間性を放棄しない遺伝子」です。

 

「空気」が支配する場面、それは、どこにでもあります。

学校の教室や、会社での会議や、国会。

喫茶店や電車の中。

コンサート会場やスポーツの観客席。

SNSなどの仮想空間においてすら、そうした「空気感」は存在します。

 

それは人々の一体感(「ナルシシズム」の論点でもあります)への欲求を満たす一方で、

ファシズム、ポピュリズム、全体主義といった、種の絶滅(自滅)に結びつきかねない危険な集団心理/行動の源泉となりえます。

 

私が祖父から受け継いだKY(空気読めない・読まない)系の遺伝子は、

そうした集団的な一体感に人々を駆り立てる危険な引力に気づき、

まさに「みんなと違う」という意味で「明後日の方向に走り出す」ことによって生き延びる、

そういう「プログラムの誤作動を見越したうえでのバックアップ」なのだと思います。

 

コロナ一色の今、私なんぞは、「今までの日常って、ありがたい面もあれば、クソみたいな面もあって、それが両方止まっていた、っていうのが事実だよね」と思っているし、「この後絶対第2波来るよな」と思っているし、「楽観論の根拠は『空気』でしかない」と思っている(自分の会社の役員連中に言いたい!)し、「オリンピックは中止だろ」と思っているし、「『自粛警察』こそ、ポピュリズムやファシズムの担い手である」と思っており、ああ、人間の世の中は相変わらずクソだな、と思っています。