ナルシシズムについて考え始めてから、
人間にとって、この世界が敵でもあり味方でもあるという事実とどう向き合うかが人生の非常に大きな課題になるということを知りました。
生まれた瞬間から、まず、母親が敵でもあり味方でもある。
そのこととどの程度折り合いを付けられるかによって、その人の生きざまが決定的に決まります。
さて、しかしながら、人間だって動物ですよね。
動物、とくに野生動物の世界は、猛烈に残酷で無慈悲な、食物連鎖という摂理があります。
すべての生物はこの摂理に従っています。
もし、「悟り」という境地があるとするならば、それは、他の生き物に食われて死ぬ野生の生物が、そのことを肯定して全面的に受け入れることと同義なのではないか。
つまり、世界は、食物連鎖という摂理の前では、圧倒的に「敵」である。
その意味において、「苦」から解放されることは原理的にありえない。
にもかかわらずそれを肯定し、受け入れられる、という境地があるとするならば、そのときこそ、「苦」は克服される。
ニーチェの言う「永劫回帰」のように、そのことを無限回繰り返し経験するとしてもそれを肯定するならば、そのものこそ、生を肯定し、運命を愛する、「超人」となるのだと思います。
「悟り」という境地があるとすれば、猛獣に臓物を食いちぎられながらも、お釈迦様のような穏やかな顔をしたままでいられる、そういう状態なのではないかと思います。