今度は母についてです。

 

母は前述の父より6歳年下、宮城県で生まれたそうですが、幼いころ(たぶん3歳ぐらい)に東京に移り住み、結婚するまで板橋区のものすごく狭い路地の一角にある本当に小さな木造の家で過ごしていました。

 

勉強は出来たそうで、美的な才能があり、一時はデザイナーも目指していたとのことでした。

もうすぐ70歳を迎えるという今となっては、どこにでもいそうな普通の太ったおばちゃんですが、若いころの写真を見ると結構美人です。

それなりにモテたはずですが、祖父が溺愛して箱入りで育てたこと(これはいろいろなエピソードから断片的にしか分からないのですが、たぶんそういう関係性だったと思います)と、性に対して非常に保守的であり、高校も女子校だったとのことで、結婚するまでろくに恋愛をしたことがなかったようです。

何人か言い寄ってきた男がいたそうですが、付き合うまでは至らなかったようでした。

(これも、母が墓場まで持っていくつもりで話さないだけかもしれませんが。)

 

私の「人生の哀歓に対して酷く鈍感である」という気質は、おそらくこの母からの遺伝です。

 

高校を卒業後、大学に行きたかったけれども、古い価値観の祖父が「女に学問なんて必要ない!」と言って認めなかったらしく、そのまま集団就職で某大企業(この会社も最近いろいろ経営が大変になっているようです)に経理として勤めていたとのことでした。

職場で嫌なことがあったのか、1年か2年ぐらいで仕事をやめ、興味があったデザインの専門学校に通って、卒業して、それから…、たぶん、そういう仕事もしていたの、かな?このへん、よくわかりません。

それなりに才能もあったようなので、今の時代だったらキャリアウーマンとして働きながら子育てできたのかもしれません。

 

20代後半、たぶん26で結婚して、翌年姉を出産し、その2年後に私が生まれています。

都内にある父の会社の社宅(これはボロい集合住宅でした。私の遠い記憶の中に、すごく狭くて暗い2LDKの畳の部屋がうっすら残っています)で、育児と毎晩酔っぱらって帰ってくる父の世話で大変な生活をしていたようです。

母が私を妊娠しているときも、他の酔っぱらいを何人か連れて帰ってきて、お酌しろだの、つまみを出せの、ひどかったらしいです。

母は、父が死ぬまでこの時のことを赦していませんでした。

まあ、当然でしょうが。

 

一度、半ばノイローゼ気味になってガスの元栓を開けてしまい、ガス漏れ警報器のサイレンで生まれたばかりの私が大声で泣き喚いたために我に返って、慌ててガスの栓を閉めたことがある、と母から打ち明けられてことがありました。

母は生真面目で責任感が強い半面、他者に依存的で、自分の力で運命を切り開くようなたくましさのない人でした。

「べきである・ねばならない」という信念にとらわれがちで、自分で勝手に自分を縛ってイライラしたり、めそめそしたり、そういうことのある人でした。

そういう人でしたので、鬱や神経症とはかなり親和的だったと思います。

今風に言えば、これもHSPっぽいです。

 

私は「弱さ」という点において、父の弱さも、母の弱さも受け継いでいます。

そして、「HSP」という過敏で神経質でどうしても受動的に行動してしまう性格は、遺伝子として母から受け継いだものであると理解しています。

 

結婚してからの母の人生は、常にだれかを「ケア」している人生でした。

高度成長という時代の流れの中で就職し、結婚し、専業主婦をしていましたが、母が自ら選び取ったものは、どれだけあったのでしょうか。

当時はまだ、女性はいろいろ選ぶのではなく、大企業の正社員と結婚すれば幸せなのだ、という価値観が支配的だったと思います。

結婚しない人、子供のいない人、というのもほとんどいなかった。

そういう時代を生きた女性です。

 

飲んだくれの父のケア、姉と私のケア、(いまや「子ども部屋おじさん」などどいう蔑称で呼ばれることのある40手前の私のケア・この呼び方は本当に腹立ちます。自分たちこそが多数者であるという確信を持った人間が、それゆえにこそ自分たちに他人を裁く権利がある、と信じたときの傲慢さは暴力にも等しいものがあります)、緑内障でほとんど全盲に近い叔父のケア、そして90歳を超えてほぼ寝たきりになっている祖母のケア。

 

時代の中で女性に要求される「ケア」というタスクを生真面目にこなし続けてきた母。

彼女は自立した人間とは言えず、私もまた彼女の弱さを受け継いでいますが、それ以外の選択肢がありえたとも思えません。

 

叔父も母も資産家なので、経済的には困ることがなさそうなのですが、それでも、幸せとは何だろうか、そして、それをつかむのに必要な条件とは何だろうか、私にとって唯一残された他者との絆は、今生きている年老いた母と叔父と祖母だけなのですが、余生を静かに、希望もなく生きる彼らがこの世を去り、もはや家族もいなくなったとき、私はどうやって生きているのか、とても不安です。