最近、自分の人生が父の人生と結構似てきているのではないかと思い始め、人間には抗えない宿命というものがあるのかしら、と漠然と考えるようになりました。

 

私は中3ぐらいのころから、ほとんど父とまともな会話をしなくなり、20歳の時に父が他界しましたので、父の人生や、父が何を考え、何を感じ、何を思って生きてきたのか、詳しいことは知りません。

でも、息子としてみてきた父がどんな人だったのか、考えてみることが、自分自身の人生について考えることと深くつながっていると思うので、今回はそこを記していこうと思います。

 

私の父は、終戦の年の8月に、静岡の貧しい小作農の4男として生まれました。

男女含めると8人兄弟(!)で、父が7番目だったそうです。

終戦の数日前に生まれていますので、彼の人生そのものが戦後~高度成長~平成(前半)という時代を象徴しています。

のちに聞いたところでは、実はもう一人息子(これが多分「本当の」長男だと思います)がいたようなのですが、海軍の兵隊として船に乗っていたところ、敵軍の機雷によって海に沈められて戦死したということでした。

年上の兄弟がたくさんいたことで、父はものすごく甘えん坊の性格になったようです。

これは死ぬまでそうでした。

依存的で、困難なことからはすぐに逃げるようなところがありました。

私は父のそういう(悪い)性格を受け継いでいるように感じています。

 

15歳で中学を卒業すると、父は知り合いのつてで東京に上京しました。

他の兄弟が中卒で働き始める中、家系の中で唯一まともに勉強ができた父は、高卒の資格も取れる東京の学校に行くように勧められたのでした。

そこでとある電力会社が運営する専門学校に入って、そのまま電気関係の技師として就職しました。

(この電力会社は50年後には原発事故でとんでもない問題になるのですが、その問題が起こる10年前に父はなくなりました。)

 

高度成長期の電力会社ですから、終身雇用の年功序列で、失業の心配は皆無でしたし、給料はものすごかったです。

父が仕事をしているところを見たことはほとんどありませんが、年中飲んだくれていた父がそんな立派な仕事をしていたとは思えません。

 

父は酒癖が悪く、酔っぱらうと何かや誰かに対する不平や不満ばかり言う人でした。

暴れたり、DVをしたりはしなかったのですが、いうことを聞かなくなるので、酔った父が家にいるときは私も姉もすぐに自分の部屋に「避難」していました。

母はそういう父を全く愛していませんでした。

 

母も男を見る目のない人で、いろいろ甘い人だったのですが、この全く相性が最悪な2人は、お見合いで結婚しました。

たぶんお互いに、恋愛の経験などほとんどなかったはずです。

 

両親の性愛(セックスという意味でなしに、「異性愛」という意味です)の現場を目撃する機会がなく、また、私にかなり大きな影響を与えた母方の叔父も生涯独身でしたので、私は異性を愛するということ、あるいは結婚して一緒に暮らすということを、現実的な自分の人生の選択肢として考えたことがありませんでした。

実は、これは40手前になった今でもそうです。

結婚して幸せになった人を、ほとんど目撃していないし、自分にそういう生き方が可能だとも思えません。

 

まあ、何はともあれ、そういう酒癖の悪い男でしたので、トラブルも絶えませんでした。

飲み屋で知り合った酔っ払いを家に連れてきたり、外人のホステスを家に呼んで一緒に住むとまで言い出したこともありました。

(これは叔母(要するに父の姉)が止めてくれました。)

酔っ払い同士の喧嘩に巻き込まれて警察や病院から夜中に電話がかかってきたことも数回ありました。

ある時は家のカギを忘れて飲みに行き、帰ってきて鍵が開いていなかったので、窓ガラスを割って中に入るという暴挙も。

とまあ、クソみたいなろくでなしです。

 

一応私を愛してくれた父でもあるので、感謝というか、愛着というか、そういうものはあるのですが、とても尊敬すべき人間ではないです。

ただ、彼がそういう「酒に飲まれる」人間だったのは、やはり時代に翻弄される弱い個人の一つの悲哀だったようにも思います。

 

実は彼は若いころに肝炎を患っており、本来酒を飲んではいけないカラダでした。

にもかかわらず、飲まずにいられなかった。

お祭り好きで、太鼓の音を聞くと踊りださずにはいられなかった人なのですが、そういうにぎやかなものが好きなのも、寂しがり屋の甘えん坊だった、性格の裏返しのような気がします。

 

悪いことに、肝炎を患ったことによって、本来現場でペンチだのドライバーだのを使って配電盤をいじくるみたいな仕事が主体だった父が、現場をはずされてオフィスワークになってしまったのも、相当苦しかったようです。

終身雇用制度は、一度就職したら良くも悪くもそこから逃げられない(転職も極めて難しい)システムなので、現場の仕事ができなくなり、毎日オフィスに通う生活に適性がなくても、会社を辞めて転職するということはできなかったのです。

 

その時、一度祖父(母の父親)に転職の相談とお金を借りに行ったことがあったそうですが、祖父に説教されて追い返されたそうです。

 

今思うと母もその時父を支えてあげるべきだったのではないかと思いますが、母の話はまた次に書きます。

 

そういう経緯があったので、父の酒癖はさらに悪くなり、依存症の一歩手前ぐらいまで行っていたと思います。

そのうち健康診断もボイコットするようになり、「俺は酒を飲まずに長生きするなんて御免だ、早死にでも構わない」などと開き直っていました。

 

そして私が大学2年の20歳になったある日、突然倒れて病院に運ばれ、医者から「余命2週間」と宣告されたのでした。

当たり前ですが、肝臓がんでした。