「絶望とは死に至る病である」といった人がいますが、私が今絶望しているのは、「人生に絶望しているのに、死に至ることなく、まだまだ延々とこの肉体が生き続ける」ということです。「絶望しているのに死なないことに絶望している」というループ。

 

かといって、自殺するわけにはいきません。

私は仕事柄、たくさんの人と会うのですが、その中には小中学生もいて、彼らの心に深い傷を与えることは、さすがに絶望していても五体満足で、貧しさからはとりあえず解放されているという身分では、選択できません。

それに、母がまだ生きています。

最近、母を可哀相だと思うようになりました。

私には姉がいるのですが、姉も私も独身で、だから母には孫もいません。

大学まで卒業させたのに息子はまともな就職をしなかったし(ブラック零細企業の社畜)、私が人生に絶望していることを知っているので、自分の教育が失敗したからではないかとか、自分に教育がなかったからではないかとか、自分を責めたり後悔したりする気持ちがあっても不思議ではありません。

母とこういうことを話す機会はもう未来永劫ないと思います。せめて、私が先に死んで、母の人生を完全に無意味なものにしてしまう(自身の人生が完全に無意味だったと思って母が死んでいく)ことだけは避けなければなりませんので、そういうわけで、私は自殺するわけにはいきません。

 

「この無意味な人生を自分で終わらせることもできない」ということも、絶望のバリエーションです。

 

絶望が死に至らないからこそ、絶望したまま生き続けるという苦役が耐え難いからこそ、人はアルコールやドラッグで感受性を鈍麻させることに依存したり、恋人や妻を殴ったり、あるいは自分の子供を虐待したりしてしまうのかもしれません。