中学卒業以来、どこに行っても集団になじんで適応するということのできなかった私。

これが多分HSP気質によるものだったのだろうと思っています。

 

メカニズムとしてはこうです。

 

●集団からの評価基準に対して委縮している

→完璧な自分なら受け入れてもらえると思い込む(完璧主義的傾向)

→過剰に適応するための努力をする(過剰適応・過集中)

→それが本当の自分だと思い込む(自我形成の失敗)

 

でも、多かれ少なかれ誰でもこういうメカニズムの中で生きてることはありますね。

完璧を目指して努力するのも別に悪いことではありませんし。

 

しかし、完璧にはなれない自分をありのままに受け入れることも大事だったのだと思います。

また、前述のとおりゲームのルールを理解できていなかったのも大きかったです。

 

で、そこからさらにいろいろと無駄な努力をしてしまいました。

スポーツの才能がないのにトレーニングしてみたり、

音楽の才能がないのにクラシックギターを習ったり(なんとこれは10年続けました。今では1曲も弾けません。)

物理と化学がダメだったから文系に進んだ「ヘタレ文系」のくせに、斜に構えて哲学なんかやってみたり…

 

結果、何一つ成果の上がるものはなく、そういう意味ではすべてに挫折しました。

適性がないことばかりやっていたのですから当たり前ですね。

 

HSPもこじらせると大変です。

 

さらにルール無視(というか理解できない)で就職した結果、職場になじめず(というか学校にすら適応できなかったのに会社=営利目的の機能集団に適応できるはずもないと思いますが)、すぐにやめてしまいました。

悪いことにちょうど私が就職したタイミングはいわゆる超氷河期で、新卒の採用そのものが少なかったうえに、労働環境が過酷で、長時間労働が当たり前の世の中でした。規模の大小にかかわらず、会社員=社畜という見方が多くの若者の間の絶望でした。(今でもそうなのでしょうか?以前よりマシになっているはずですが)

 

ろくに働く意識も持たずに就職したのは自分が悪いのですが、一方で、私の目にはやっぱり何十年も会社に雇われて働くというのは絶望的な苦役にしか思われず、毎日長時間満員電車に黙って乗り続けるとか、朝から晩までパソコンの前に座って作業し続けるとか、日曜日の午後になると憂鬱になってくるとか、それはとても人間的とは言えない生活で、耐えられなかったのです。(早く日本人がその苦しみから解放されてほしいと、今でも思っています。)

 

会社を辞めて1年以上、引きこもりました。

さすがに親戚が心配していろいろアドバイスをくれたのですが、愚かな私は「自分探しの旅」などというものに出てしまい、会社員として働いたお金の残りで北海道から九州まで1か月半ぐらいかけて一人旅をしました。

ここでも、何か劇的な出会いというか救いというか、そういうものを求めていた気がします。

 

帰りの新幹線で「ニートと呼ばれる若者が●万人もいる」というようなニュースが流れていて、「あ、俺のことか。」と思い、カモフラージュのためにバイトでもしよう、と考えて、地元の駅で手に取ったバイト情報誌をたよりに応募して、ニートからフリーターに昇格(?)しました。

 

このバイト先が客商売だったので、私はあまり役に立っていなかったのですが、「365日いつでも入れる」という条件のため重宝され、またHSPにはこれぐらいのぬるま湯からならしていくのがちょうどよかったようで、3年半ほど働いて居心地がよくなり(実はその間、税理士の資格を取ろうともしたのですが、うまくいきませんでした)、最終的にそのバイト先で「社員として働かないか」と声をかけられて、他に行くところもないし、家族も心配しているからということで、フリーターから正社員に昇格(?)しました。

 

ここは入ってみるといろいろブラックだったのですが、それでも私にとっては適応しやすい条件がそろっていました。

・自宅から車で通える。満員電車から解放!

・職場に上司がいない

(自分が店長みたいな立ち位置なので、週に1回本部の会議に出るだけで、普段私の仕事を監視している人がいない!)

・仕事が簡単(ただし量は多い)で、プレッシャーやストレスが少ない。だから日曜の夜にブルーになる、ということもない!

 

というわけで、私はようやくブラック零細企業に「不時着」できたのです。

ブラックとはいえ、社員の数も多くないですし、風通しは悪くないほうです。

 

社員になって3年ぐらいたったころ、いつの間にか「高校に入学して人生をやり直す」という夢を見なくなっていることに気が付きました。

休みなく忙しく働いている間に、離人症的な感覚も薄くなっていきました。(もっとも「これが本来の自分の人生ではない」という執着と、自分の人生に「没入できない(演じきれない)」感覚はいまだにあります。)

 

私は多分鬱をはじめとする精神疾患に親和的な性格の人間です。

ただ、精神科や心療内科で専門家の診断を受けたことは一度もありません。

なぜこんなに生きにくいのか、自分を知りたい、という思いで本を読んできた結果、「鬱」「離人症」「HSP」「回避性パーソナリティ障害」といったカテゴリーには該当しそうだと、自分で勝手に思っています。

診断名に逃げて自分を正当化する気はないのですが、いままで何もかもうまくいかなかったのは、そもそも私のような人間には「無理ゲー」というか、デフォルトの条件からして難易度ハードモードだった気がしていて、その意味で「リセットしてやり直す」という夢を何度も見たことも深層無意識の次元で自分が今歩んでいる人生の未来に可能性がないことを自分で確信していたのではないかと思います。そういう直観力みたいなものがあること自体、HSPの特徴かもしれません。

 

何はともあれ、正社員になってから、もう10年以上たっています。

今年のGWは私は9連休でした。

明日から仕事が始まるのですが、会社の業績は下がる一方で、同業者との競争もし烈で、なおかつ市場の環境がどんどん悪くなる一方なので、いつまで続けられるか分かりません。将来性がないので希望もなく、不安だけが膨らむばかりです。

自分の人生を肯定できていないことも、私が他者と「つながれない」ことの大きな理由かもしれません。

でも、私の人生はまだまだ続きそう(死ねば楽になれますが自分では選べません。90歳を過ぎて介護されながら生きている祖母を見ながらそう思います)なので、希望を持っていきたいと思います。

私にとって、希望を持つとは、自分の人生を受け入れるということであり、無駄に過ぎていった過去を赦すということでもあるのです。

 

ひとまず、おわり。