子供時代の私には、苦手なものがたくさんありました。

 

まず、運動が苦手でした。特に、水泳。

幼稚園でも、小学校でも、「水中で目を開けるのが怖い」ということで、ほとんど水泳の授業中は何もできませんでした。

おまけにガリガリに痩せていたので、唇を紫色にしながらガタガタ震えており、「プール=苦役」以外の何物でもありませんでした。

 

ある時意を決して水中で目を開けたら、痛くもなんともなく、それからある程度泳げるようになりました。

実は何でもないのに極端に臆病で保守的、というのは生まれながらの性質です。

 

食べ物の好き嫌いも多く、野菜はほとんどダメでした。

(今はほとんど何でも食べます。子供のころの自分に、「大人になったら生のタマネギ以外は全部食べられるようになるから、無理して食べなくても大丈夫だよ」と教えてあげたいです。)

 

人付き合いも基本的に苦手です。親戚とですら、何を話していいのかわからなくなります。

だから、電話が苦手です。用件が済むと話すことがなくなってしまい、世間話もできないので、「もう用はありません、さようなら。」という切り方になってしまいます。これってコミュ障なんでしょうか?いずれにせよ、コミュニケーションや交渉事中心の仕事には適性がありません。

 

そんな私でも、子供のころは周りの人が優しかったのと、勉強ができたので、自然と仲間に入れてもらえました。みんなが安心できる仲間だ、と感じれば、のびのび自分を出せるのです。ただ、「勝負に勝つ」というような目標がしっかりあるような場所に行くと、自分に向けられる批判的なまなざしに耐えられずに委縮するか、権力を持っている人に認められるために過剰に努力してしまうか、どちらかになります。

 

4年生の時に地元のソフトボールチームに入ったのですが、いとこのお下がりのグローブをもって公園に行ったらいきなりノックを受けさせられ、「おい!もっと声出さんか!」「そんなのも取れんのか、何やってんだ!」とどやされてすっかり委縮して逃げるように家に帰ったのを覚えています。

両親が一度始めたことをすぐにやめるのを許さなかったおかげでどやされることにも慣れ、野球好きだった父(いろいろ問題のある人だったのですが、長くなるので別の機会に)と毎週末に練習したので、5年生からはレギュラーになれました。まあ、レギュラーと言っても、もともとチームに15人ぐらいしかいなかったと思います。

 

中学でも弱小野球部で、楽しくやっていました。

ただ、前述の通り権力に弱かったので、勉強はもしかしたら過剰に頑張ったかもしれません。自分では「過剰」と思っていませんが、暗記物は資料集なども隅々まで目を通して、満点を取らないと気が済まない、という勉強の仕方でした。

誰からプレッシャーをかけられたわけでもないのですが、成績はいつも学年1位でした。

そうやって何でも100%大人の期待に応えてしまう、あるいは先生という権力を持っている人の要求に100%応えて認められようとしてしまう、というのは、今思えば学校という空間へのある種の過剰適応で、これもまた適応障害のバリエーションだったのかもしれません。

 

大人になってからは、勝つことを目的にした集団(会社)で戦力として評価されるために頑張る、ということになるわけですが、現代の競争重視の労働環境は非常にきついです。もちろん、その中で戦力として評価されてやる気が出る、というのも「レギュラーになる」ということと似ているかもしれないと思いますが、スポーツと仕事はやっぱり別物、という気がします。勝負事には、徹底的に不向きです。

 

すると逃げるか、過剰適応するか、ということになってしまいますが、それではどちらにしてもハッピーにはなれなそうですね。

 

高校生になってから、その「適応」の齟齬を思い知らされることになります。

 

つづく。