田中一村の画に魅かれて、
というより衝撃をうけて
ぜひ奄美大島の田中一村の画に会いたいと、
田中一村記念美術館行ったのは2010年の10月。
その時のブログをここに。
◆田中一村を奄美の大気の中で観たかった。
奄美パークのなかに田中一村美術館はある。
この建物自体が素晴らしい。
高倉という奄美の建物をイメージし、
三つあるそれぞれに一村の作品が時代ごとに展示されている。
天井が高く、落ち着いた空間に作品からの静寂が漂う。
新しい室内に襖絵がゆったりとある。
二十歳前後の昂ぶった気持ちのほとばしりでるような、
画と賛。
藤、牡丹などエネルギーが満ちる。
南画などの作品。「倣蕪村」なども。
青龍展での受賞作「白い花」、これは戦後間もない頃。
白と緑が交響する。
「秋晴れ」に想いを籠め描くが落選。
ここから奄美までは模索の時代といえるか。
奄美での作品の室内はさらに密度の濃い空間となる。
「パパイヤ」は墨の濃淡で描かれる。
後ろからの光源に実が、葉が、茎が浮かび上がる。
拡がってゆく葉が光の筋ごとのようにも見える。
「アダンの木」
手前に大きく描かれたアダン。
その浜辺は永遠に暮れてゆくよう。
さらに密やかで、
精神の底の底まで、奥の奥まで、
降りて行ったところで、
絵筆をとったかのよう。
「クワズイモとソテツ」
クワズイモの成長の段階がひとつの画に
なんの不思議もなく、おさめられている。
ひとつひとつの作品が、
絵を鑑賞しているというより、
なにか大きなものへの、
祈りというもの、
魂というもの、
そういった敬虔な思いへいざなう。
南国へというとなにか開放的な明るいイメージがあるが、
その明るいまま、
厳粛なといってもいいほどの佇まいが、ある。
あまりにも緻密な写実があり、
リアルをうつそうとして幻想へ、と。
この奄美の室の寂静は深い。
絵を見て手を合わせたのは、初めてのこと・・・
<田中一村(たなか・いっそん)>
1908年~77年、栃木市生まれ。
少年時代から画才を認められ、
東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科に入学するが、
事情により中退。
以後、画壇から離れて制作を続ける。
58年(昭和33)、奄美大島に渡る。
紬工場で染色工として働きながら、
奄美の自然を題材とした作品を描き続けた。
「アダンの木」